星飛び
著者 囮禽 畔
 
 彼との出会いは思い返せば、中学2年の終わり間際だった。中学内では少しばかり名の知れた読書家で、読書感想文なんかでは常に優秀賞をもらっていた私は2月12日その日も、いつも通り一人きりの図書室で本を読んでいた。その日には、当時から銀河、星が好きだった私はそれを駆けめぐるスペース・オペラを読んでいたように思う。目に浮かぶようなその宇宙の美しさは私の心を魅了していた。
 そんな私の空想世界を作り上げる図書室に突如大きな足音が駆け込んできた。隣のクラスの吉坂くんだった。私がその時知っていた彼は名前だけで、顔と名前が一致したことに驚いていたくらいだ。
「どうかした?」
 私は本にしおりをはさみ、ページ数を確認すると彼にそう尋ねた。彼はおおきく息をしながら私の方へ近づいてきた。
「これ」
 彼はうつむきながら、数枚の原稿用紙を私に差し出した。顔がかすかに紅潮しているのがわかった。
「受け取っていいの?」
 彼は黙ってうなづいてその原稿用紙をさらに私の方へと近づけた。それを受け取り少し目を通したところ、それは小説らしかった。お世辞にも綺麗とは言い難い癖のある太字で埋め尽くされていた原稿用紙は彼の努力の結晶なのだろう。
「吉坂くんが書いたの?」
 私はそれに目を通しながら彼に言った。
「あぁ、小説を書くのが好きなんだ。渡瀬はいつも読書してるだろ? お前に評価してもらいたくてさ」
 彼が恥ずかしそうに、心の底からそう言ったようだったので私は少し嬉しくなり、ありがとうと伝えた。すると彼は、とりあえず最後まで読んでくれ、と目を輝かせた。
「んじゃ、読むね。少し時間かかるかもしれないから、そこに座ってて」
 私は彼にそう言ってから原稿用紙に集中した。
 
―星の合図で 吉坂 誠
 僕たちは皆、それぞれの空に自分という星を浮かべて生きている。高校の時から好きな女の子にそのような事を言われた事がある……―
 
 その小説は、目の前の吉坂くんが書いたとは失礼ながら到底思うことができないほどにあまりにも美しい恋愛小説だったのだが私には引っかかるものが一つあった。
「どうだった?」
 私が原稿用紙から目を離すと、同時に彼は私の目を見てそう言った。私は、引っかかったその箇所を彼に告げる。
「とても美しくって可愛らしい小説だと思うよ。少なくとも私は好きかな。でも一つ、私個人として気になる部分が」
 私がそう言うと彼は嬉しそうな顔をした後、ふしぎそうな顔をした。
「どこ? 教えてくれ」
「うん。星の描写が、少し違うかなって思う」
 彼は非常に意外そうな顔をして私に反論した。
「そんな……こういって君を困らせるわけじゃないけど、僕は星を見るのが大好きなんだ。その僕の感情や考えが全て詰まった描写なのに」
 彼は、そう言い終わると少しうつむいて悲しそうな顔をした。そのせいで私は罪悪感に駆られたが彼の小説をさらによくするため、とそのまま続けた。
「吉坂くんが星が好きなのは、読んでてよくわかったよ。私も星が好きだから。でもね星ってもっと色彩があって、表情があって良く微笑むものなのよ」
「どうしてそんなことがわかるんだい? 本当に、君を困らせたいわけじゃないんだけど。とても信じられないや」
 彼がそう言うのも仕方がない。私も、星飛びを覚えるまでは星に表情があるなんて知らなかったのだから。しかし私は知った。星というものは、実際に見てみないとわからないものなのだ。
「うん。それはそうね。それじゃあ明日の夜7時。完全下校のすこし前。ここに来てくれる?」
 私がそういうと彼は肯いて、図書室を出た。私はそれを見送り、もう一度彼の原稿用紙に目を通そうとしたのだが、そこで彼が再び現われた。
「そうそう、読んでくれてありがとう。それから、この事は誰にも内緒な。恥ずかしいから」
 彼はそう言い加えると今度こそ、本当に図書室から去っていった。
 私は彼に、明日ここに来るように言った。だが私が計画したことが全てうまく行く保証はない。そんな一抹の不安を抱えながらも何も考えないように心がけて明日が来るのを待った。
 そして翌日。彼は約束通り図書室へと足を運んでくれた。
「来たよ。それで何をするの?」
「うん、ベランダへ出よう」
 私はベランダへと続くガラスドアを開いて彼を呼んだ。もう太陽が沈みきったこの季節の7時の風が、心地の良い音で私の髪を撫でた。そして彼がベランダに出てくると私は彼の目を見た。
「今から言うことは信じられないことかもしれない。けど、信じて。全ては本当の事だから」
 私はそう伝えて、彼に話をはじめた。
「小学3年生の頃かな。その時から星が好きだった私は毎晩空をみてたの。そんなある日ね、星を見ながら私は眠っていた。何故わかったかっていうとね、私は銀河にいたから。きっとそれは夢だろうと自覚してたの。でも、それは違った」
 私はそこで一旦話を区切った。そしてこう続ける。
 その日から何度もそんな事があったの。でもね私には夢にはない現実味を帯びた温度や風を感じる事が出来た。意識だってちゃんとあった。そして何度も経験を重ねるうちに私は一つの結果にたどり着いた。私は「視点」を星に飛ばす事が出来る。つまり、この空に一つの星が浮いていたとする。すると私はその星に降り立ち、そこから空を仰ぐように、その地点から見える宇宙を見ることができたの。そしてそこから見る空にある星からも、別の星へ飛ぶことができるの。私はこの現象を星飛びって呼ぶんだけど。
「す、凄いね……。それ。あり得なさそうだけれど、何故か信じられる。けど、やっぱり見えるなら僕も見てみたいかな」
 彼は言った。私はそう言うに違いないと、この時刻を選んだ。空にはいくつもの星が既に輝いていたのだ。
「うん、出来るか判らないけれど……私の手を握って。今から飛ぶから」
 彼はその言葉を聞くと私の手を握ろうとして、ためらった。
「恥ずかしい?」
 彼がうつむき加減にそう肯いたので私は、自分から彼の手を握った。彼の手を握ることに違和感は感じなかった。
「行くよ」
 私は意識を空に集中させた。彼を連れて飛んでいけるかもしれない。
 
―「どうして? あの時はあんなにもうまく生きていけたじゃない。何もかもうまく進んでいたじゃない」
 彼女は言った。彼女は、高校の頃から好きだった、という女の子だ。二人は恋人同士だったが別々の道を選び振り返ることはなかった。けれど、あれから5年立った今、大人に近づいた僕たちは同窓会という方法で再びであった。僕は寂しさを堪えて言った。
「大人になりすぎたんだよ。きっと僕らは」―
 
 空は星々を乗せた、メリーゴーランドのよう。廻り、巡る。私達が飛んだその星からは地球が見えた。憂いを帯びたその青は、悲しみを含んでいるようだった。
「す、凄い。これが星」
 彼は驚き、そしてその時間を精一杯楽しんでいた。私も、まさか本当に人を連れて飛べるとは思わずとても嬉しいと思った。
 そして小一時間ほどその視点から空を眺めると私達は、図書室へと戻った。彼は、はしゃいだせいかとても疲れて見えた。
「なんだかまだぼおっとする。熱もあるみたいだ。君以外の人間は、あまり飛ばない方が良いらしいね」
 彼は微笑んだ。そしてありがとうと、伝えると図書室から駆けていった。私はそのすぐ後、帰路を歩みそして彼がすこし疲れていたことを考えた。どうしてだろう。彼の言ったとおりなのかもしれない。危険な事もあるかもしれないからあまり、彼を連れて飛ばない方が良いかも知れない。彼自身もそう思ってるようだ。
 私達は、その日から毎日7時に図書室で話をした。小説の話、宇宙の話。星の話。自分自身の話。そして時折星へと飛んだが、そのたび彼の調子はすこし崩れた。そんな毎日をくり返しているうちに、一つの解決策のようなものが生まれた。
「ねえ、僕の手を握りながら僕は連れて行かずにその視点を心で伝えられるかな?」
 彼は私に、そう尋ねてきた。私はやってみると彼に言った。
「うん」
 私は彼を連れて行かないようにと意識を集中し、そして空に浮かぶ星へと飛んだ。私の視点の隣には誰もいないようだった。一人で飛ぶ時と全く同じだ。そして宇宙には何千という星々の渦。眩しいくらいの光が私を照らしていた。心の中でそれを描き出し、かすかな温もりの方へとそれを分け与えた。温もりは、彼の手だろうか。そうに違いない。
 伝わってると良いな……。
 私は一通り、宇宙を眺めると図書室へと舞い戻る。彼は私の手を握りながら、原稿用紙に向かっていた。
「ありがとう。感じたよ。君の宇宙を。さっそくだけどすこし描写をまねて書き出してみたよ」
 彼の見せた原稿用紙には、確かに私が心の中でイメージした、視点からの宇宙がそこにあった。彼の原稿用紙には宇宙が宿っていた。
「誠の原稿用紙に、宇宙があるよ」
 私はそういって力一杯微笑んで見せた。彼は、すこし恥ずかしそうな顔をしていつまでも握り続けた手に力をより一層込めて見せた。
 その時私達はもう、二人しかいない宇宙の恋人だった。
 それからも私達はずっと宇宙で会い続けた。3年へと進級し、夏が来て、秋が来てまた冬が来て、年が明けて。
「渡瀬、もうすぐ卒業だな」
 誠が宇宙から帰って来てすぐ言った。
「うん」
 私は卒業したくなかった。この図書館は、いわば私達二人の出発地点だったし今も二人を支えてくれていたからだ。不安だらけの次のステップに進むことは、一抹の不安を覚えずにはいられなかった。けれど卒業はもう間近だ。確実にその時を進めている。
「高校、別々だな」
 彼はそう言った。私にとってその事はさらなる不安を抱かせる要素であった。出来ることならその話はよしたかったが、仕方がないことだ。この時期に避けては通れない。
「卒業……したくないよ。一緒にいたいよ」
 私は彼の手を握ってそう呟いた。彼は私の頭を撫でて言った。
「大丈夫、僕らはいつまでもきっと宇宙で会える。宇宙の恋人なんだ」
 私はその言葉を信じ、いずれ来たるべき卒業に目を背けはしなかった。そして卒業の日がやってきた。卒業式の晩。私はどうしようもないくらいの切なさに駆られひどく泣いた。一人でずっと泣き続けた。涙がかれると私は宇宙へ行こうと空を仰いだ。そこにある美しい星は私の心を安らがせた。
 けれど……私は飛ぶことが出来なかった。いつまでも私は、自室の中にいた。強い不安感を覚え、体中に寒気が走った。そして空の星を雲が覆った。
「いや……」
 私は一人夜の道へくりだし、中学校へと走った。学校はもう閉まっているだろう。けれど、それでも私は行くしかなかった。二人の星飛びの出発地点へ。
 
―「ごめん。お前が好きだ。まだ好きだ。忘れられやしない。全然、大人になんかなってなかった」
 同窓会から2年。俺は幾度となく、失敗をくり返し終わったと思った恋に想いを馳せていた。どうしようもなく彼女に会いたくて仕方がなかった。そんなある日、僕の前に彼女が現われた。ひどく都合が良いことを俺は言ってしまった。2年前には忘れろと突き放し、今頃になってよりを戻してくれだなんて。彼女は思った通り、今頃と毒づき涙を流して走りだした。俺は彼女がどこかへ去ってしまうような気がして彼女を必死で追いかけた。途中、彼女を見失いどうして良いかわからなくなった。だが俺は、彼女を浜辺で見つけた。「都合が良すぎるかもしれない。けど一緒に居たいんだ」―
 
 校門で座ると私は携帯電話を取りだし、震える指で誠へと電話をかけた。
「誠? 私ね。星に飛べなくなっちゃった」
 私は絶望にくれ、嗚咽を堪えずに誠へとその事を伝えた。彼は途中から状況を飲み込んでくれたらしく今駆けつけるから待っていろと電話を切った。だが私は、自分の居場所をまだ伝えていなかった。
 こうやって二人はすれ違うのだろうか。そう考えると、今までの一年間が走馬燈のように胸をよぎり体のそこから熱を帯びた鼓動が鳴り響いた。
「嫌ぁ」
枯れたと思った涙がまたこぼれはじめる。涙は止まることを知らず、流れ落ちる首筋はひどく冷え切っていた。もうダメかもしれない。二人は。この孤独は一人のものなのかもしれない。そう思った時だった。
「やっぱりここか。図書館へは入いれないだろう」
 誠だった。涙がまたこぼれ落ちる。今度はひどく暖かい涙。
 
―「あなたは、最低よ。こんな都合良く……。でもねそれでも許してしまう。あなたが好きなの」
 彼女は俺に言った。心の底から僕は震えていた。涙を堪えることができなかった。
「ほら、そらに雲があるでしょ。さっきからずっと見てたの」―
 
「渡瀬。あの雲の向こうには、それは綺麗な星が微笑んでる。そう、美しい色彩を帯びて。その星が現われたら」
 
―「ねぇ、私にね、その星を合図に」―
 
「僕にキスしてくれ。そしてもう一度一緒に飛ぼう」
 誠は私の手をとり立ち上がらせてくれた。だが私はまだ飛べる気がしなかった。
「飛べないよ」
 私は弱音を吐く。
「いや、飛べるね。さぁ早く。もう雲はどこかへ行ってしまうよ」
 さわやかな風が吹いた。彼は私の手を握り雲が去るのを見つめた。
 雲が過ぎ去る。そこには、美しい色彩の一番星を中心に、廻り、巡る、銀河が渦を作っていた。
「ちょっ……ン……」


あとがき
これはつまり、銀河に関する話を書きたいなと思って、星飛びというアイディアを思いついて(微妙なアイディアですが)
書き出した作品です。結局それを活かすために恋というジャンルになりましたが苦手なもので。

Rhapsody In Blue