桃色恋歌
著者 作楽 遊希
 
 風が通り過ぎた。
 雨の香りを連れて――。
 
 
桃色恋歌.プロローグ
 
 
「……?」
 雨の香りがした。
 そんな馬鹿な事があるわけない。ここは榮凛学園校内。ついさっき、雲ひとつ無い晴天の中、重たい参考書を抱えて学校についたばかりなんだから。
「気のせい、だよねぇ」
 思わず苦笑し、無意識にカエルが天然石を抱いたネックレスに触れる。
 さっさと教室に行って、荷物を置きたい。異様に重たい鞄を一瞥し、本来の目的を思い出す。どうしてこう情報関係の教科書は無駄に重たいんだとぼやきはじめて、もう一年と少しが過ぎた。学校規定の制服、私服も可能だが……私服を選ぶセンスにかける為、常に制服を着ている。と、いうのが建前。クラスメイトから馬鹿にされるので、実は制服のグリーンが綺麗で気に入ってるなんて事は内緒だ。このモスグリーンは魅力的だと思うんだけどなぁ。私的には。
 肩にずっしりと重みを感じさせてくれる参考書をいっそ投げ捨ててやりたい気分になる。
「あれ?」
 ようやくたどり着いた教室の扉をあけ、間の抜けた声を出す。よもやこんな朝っぱらから学校に来る物好きがあたし以外にいるとは思わなかったからだ。
 重たい荷物を抱えて闊歩してきたあたしと違って、僅かに石鹸の香りがする男。少し長めの黒髪が濡れてるから朝風呂……むしろ朝帰りかもしれない。確かに黙ってたってりゃ、そこそこ格好良いとは思う。しかもあたし好みのちょっと長めの漆黒の髪だったりするけど。朝帰りなんて論外だ。
「おはよ」
 若干の軽蔑を含めた声音で一応挨拶はこなす。最も、寝てるかもしれないから大して返事は期待してない。
「……」
 男――たしか、天音狗音とかいう変な名前だったはず――は、ちらっと気だるげな一瞥を向け、すぐに逸らしやがった。前言撤回。起きてんなら挨拶くらい返せっ! とはいえ、そんなことを口に出す『ライ』ではない。『ライ』は笑顔でよく笑う女の子なんだから。うん。不用意に色ボケ男に突っかかったりしないものだ。この男、しょーもない態度ではあるものの、成績はクラストップレベル。不思議なことに人望も厚い。各言うあたしも、数少ない女生徒の中では一応トップだ。紙一重で、だが。さらに付け加えるなら、もともと情報科に所属する女生徒は多いとはいえないので、なんの自慢にもならない。
「まったく」
 怒鳴る変わりに小さく笑ってつぶやく。そのまま席に座り、ごちゃごちゃの鞄の中から手帳兼日記帳を取り出す。
 
 ○月×日
 朝帰りの色ボケ男一匹。挨拶するも返事すらせず。てか、視線逸らしやがって。
 うん。まぁ、いいけど。……でも、やっぱムカツク。どうでもいいけど、あの髪、しっぽにして触りたいなぁ。
 
 なんて文章をさっと書き留める。
 あとで読み返すと、意外に自分の心理状態が面白かったりするのがいい。それに公言してるわけじゃないから、誰に文句を言われるわけでもないし、他者の目を気にする必要も無い。
「ふふっ」
 少し満足して笑みをこぼす。と、視線を感じ色ボケ男に顔を向ける。
「何?」
 ポカンとした顔で見られる心あたりなど無く、少し不機嫌に疑問をぶつける。この距離で書いた文章が見られるはずなんて無い。
「や。なんつーか……珍しいなぁと思って」
 手帳を開いて――内容はともかくとして――文章を書く行為を珍しいと言われるとは思っても見なかった。
「何が?」
 確認の意味も含め、さっきより不機嫌な声音で問い返す。
「夢水さんがピンクなんて」
 色ボケ男は失礼にもあたしの手元を指差しながらそんなことを言ってきた。
「……あぁ、これ?」
 そこでようやく合点がいった。
 あたしこと夢水雷歌、いや『ライ』からは大よそイメージの合わない色だったのが原因だったらしい。若干の動揺が生じるも、表面上は笑顔を取り繕う。
「家にこんなんしか無くてさ。黒とか青の格好良い奴が欲しかったんだけど」
 ほんとは、この渋めの桜色が気に入って、自分で買った手帳。
 実はけばけばしい桃色は嫌いだけど、しっとりした感じで、どこか柔らかな印象を受ける桃色は好きだったりする。もっとも『ライ』のイメージは格好良さそうな黒とか青だから、桃色は嫌いな色になってるはずだけど。とにもかくにも、都合の悪い事は軽く流して話題をかえるに限る。
「ていうか。あたしの事『夢水』なんて呼ぶ奴、滅多にいなし。『ライ』でいいよ」
 そう。あたしは『ライ』という、よく笑う自己中女であって、決して可愛い女の子ではない。
 無意識の内に、カエルのネックレスに手を触れる。
 今日の天然石はレッドジャスパー、行動力と勇気を与え、情熱を起こさせてくれるらしい。
 
 ○月×日
 危ない危ない。てか色ボケ男、しょーもない事に気づきやがって。
 でもよく見てる。あたしのこと、さん付け呼ぶなんて、珍しい奴。
 
 再度、書き留めて鞄の奥にしまいこむ。
 早く課題終わらせないと。あんな色ボケ男……すぐに追いついてやるんだから。
 
 

続く


あとがき

Rhapsody In Blue