異国の姫君は
著者 作楽 遊希
 
序幕 深夜の企み
 
「時間ないし、どうすっかな」
 ぼんやりとした光を見つめ、呟く。
「あ、そうだっ」
 ふと、妙案を思いつく。いつになく心躍った。
「俺は――」
 一度、思いついたら止まらない。
「狙った獲物は逃さない」
 自然、笑みが漏れた。
 
 さぁて、今度の獲物は――。
 
 
 
開幕 我が侭な姫君
 
「いい加減になさって下さい」
 いつもと同じ答え。
「どうして? なんで駄目なのよ」
 これもいつもと同じ疑問。傍から見ればただの茶番以外の何者でもない。それでも作楽は毎回毎回、真剣だった。
「駄目な物は駄目ですよ」
 ため息混じりに答えた祭樹の横顔にはうんざりとしている様が見てとれる。幾度となくこんな問答を繰り返しているのだ。
「外に行きたいっていうのがそんなに無理な注文?」
 作楽は美しく磨き上げられた小さな窓から、外を眺めながら口にした。
「――貴女はこの国の第二皇女なんですから」
 いい加減にして欲しいといわんばかりの口調だった。
「優秀すぎる側近は嫌いよ」
 拗ねたように作楽は呟いた。
(どいつもこいつも、皇女皇女って……冗談じゃないわ)
 この件に関して、作楽がいくら言葉を重ねても彼女の優秀な側近の首が縦に振られることはなかった。そして作楽もそれを身を持って重々承知していた。
「もういいわ。ひとりで考えたいことがあるから」
 そう告げ、手で追い払う仕草をみせる。
「悩み事なら、私も一緒に」
 そんな祭樹の言葉をにこやかな笑顔で遮った。
「あたしのささやかな願いを叶えてくれない優秀すぎる側近の首を縦に振らせる方法を考えたいんだけど……協力してくれる?」
 返答に窮した祭樹を追い出して、作楽はため息をついた。
「外に行きたいってのがそんなに無理なことだとは思わないんだけどなぁ」
 子供の我が侭。作楽の様を見れば誰もがそう言うだろう。そして、それを誰よりも強く感じているのは彼女自身だった。
 
 ここラプソティー王国は小さいながらも安定した平和な国だ。そこに静かな波紋が生まれつつある。王の死期が近いのだ。長くもって二年、と言われている。そこで当然のごとく浮上したのが跡継ぎ問題だ。
 第一候補は無論のこと第一皇子、朝霧夏樹。とても優しい好青年に育った。人あたりも良く、恨まれることはそうないだろう。ただ、その優しさは時に甘さともなり得る。その優しさにつけこみ、夏樹を利用しようとする者は少なくはない。
 第二候補は第一皇女、鏡柘榴。柔らかな笑顔とさりげない気配りで、人々を魅了してやまない。ただ、感情を素直に表に出すこともしばしば。夏樹よりも利用されにくいだろうが、冷静に国を治めるのに向いているかと問われると微妙なものがある。
 そして、第三候補が第二皇女である作楽遊希だ。優しいとも言いがたく、さりげない気配りが出来るほど大人でもない。さらに言えば、とても姫とは呼べない。
 それでも万一のことを視野に入れるのなら――
(利用しやすいのは、あたしだ)
 作楽は苦く笑った。綺麗に整えられた部屋。夕日に美しく染まる広い城。大きくて小さな牢獄だ。
 
 不意に戸が叩かれた。思考を中断されてやや不機嫌そうに作楽は口を開いた。
「どうぞ。って、え?」
 ほとんど答えをまたずに入ってきた人物をみて、作楽は驚きの声を漏らした。この部屋は第一皇子までとはいかずとも、それなりに警備は固いはずだ。だが、入ってきた少年に作楽は一切の見覚えがなかった。
「あんた誰――」
 姫らしからぬ声を漏らそうとした作楽の言葉を遮り、少年は口を開いた。
「……自由が欲しいか? 第二皇女、作楽遊希」
 なんと魅惑的な誘いだろうか。作楽は口元を歪めた。
「それはどういう意味?」
 作楽に自身の自由と引き換えに国を売ってやるような優しさはない。相手の真意を探ろうと、少年の瞳を見つめた。作楽より二つか三つ年下だろう。だが、その瞳には強い意志が宿っている。作楽が欲してやまないものだ。少年は作楽の言葉は無視して続ける。
「ただし、条件付きだ。
 一つ。作楽遊希に与えられる自由時間は――二年間。
 二つ。その月日が流れたならば、城に戻り、然るべき振る舞いをし、然るべき道を歩め。
 三つ。納得しろ。
 これら全てを守れるというのなら、二年間の自由を与えよう」
 少年の瞳に迷いや偽りの色はない。二年間……与えられるものが自由と呼べるものか。
(でも二年あれば、なんとかなるかもしれない)
 ほんの少しの間をおいて作楽は歪んだ笑みを洩らした。
「……いいぜ」
 そして。
「条件を飲んでやる。俺に自由をよこせ」
 第二皇女としては絶対に見せぬと決めた口調で言い放った。
 
 そして、その日を堺に第二皇女は姿を消した――。
 
 
第一幕 噂の姫君
 
 第二皇女が消えてから、ほぼ二年の時が流れた。二週間ほど前のことである。消えた第二皇女がおしとやかに、女性らしく、美しくなって城に戻ってきたと言う噂が流れた。
 
 この物語は、定められた二年間の前日から始まる。
 
「何を考えてるんですかっ」
 悲痛とも呼べる声が、城内に響き渡った。声の主は噂の姫君である。
「なんだと思う?」
 対する女性は気軽に応じた。第一皇女、鏡柘榴である。
「嫌がらせ、ですか?」
 その台詞に、柘榴は柔らかな笑顔を浮かべた。
「私がそんなことすると思う?」
 誰もを魅了する笑顔。が、例外は多数存在する。
「いえ」
 噂の姫君は即座に否定する。ただし、そう答えた笑顔は微妙に引きつっている。
「そう?」
 柔らかな笑顔を消すことなく、楽しそうに柘榴は続けた。
「まぁ国中あなたの噂でもちきりになってるし。予定通りね」
「……誰のせいですか、誰の」
 恨みがましい声で紡いだ噂の姫君をちらりと見やり、柘榴は当然のように言い切った。
「私じゃないわよね」
 流石に聞き咎めたのか、噂の姫君は小さく呟いた。
「柘榴殿以外の誰のせいでもありませんよ」
 人の心の動きに敏感な柘榴が、それに気付かないはずもなく、彼女はいつもの柔らかな笑みをほんの少しだけ濃くした。無論、噂の姫君も十二分に知っているはずだ。
「でも、悔しいわ」
 疑問符を浮かべる噂の姫君の見やり、心底悔しそうに柘榴は言い放った。
「私より可愛いですもの。ねっ? 夏樹姫」
 噂の姫君の正体は、柘榴の策略によって女装されられた第一皇子、朝霧夏樹であった。
「『ねっ?』じゃないですよっ。だいたい、誰が『姫』ですかっ!」
 夏樹は珍しく声を荒げた。
 柘榴は「美しい」という言葉が似合う、かなりの美女である。その柔らかな笑顔に堕ちない男などいないだろう。
 だが、「可愛い」という意味では夏樹が上をいく。中性的な美しい顔立ちと、どこか恥ずかしそうに頬を染めるその姿に堕ちぬ男など、そうはいないだろう。
「私よりもてるじゃない?」
 それを証明するかのように、第二皇女が城に戻ってきたと言う噂が流れてからというもの、戻ってきた第二皇女、つまりは「夏樹姫」に対する恋文の数は、あっという間に柘榴と並び、追い抜く勢いである。
「男に言い寄られても嬉しくありませんよ」
 夏樹は思いだしたように身震いした。
「そうは言ってもねぇ……そういえば、例の恋文はどう?」
 その一言に夏樹は顔を歪めた。どうにも思い出したくないことらしい。が、柘榴の無言の視線に耐え切れず、夏樹は口を開いた。
「どうもこうも。いつもと一緒ですよ。
 『明日、あなたをいただきに参ります。
 是非とも、月のように美しく、星のように可憐なあなたの姿を拝見いたしたく存じております。どうぞ、御準備の程をよろしくお願い申し上げます』
 ここ毎日ずっと、送ってくるんですよ? 音桐殿や夏目殿は何を考えているのか楽しそうに笑っているし。祭樹殿や薔薇百合殿は、私を『第二皇女』と信じて疑わないし……」
 何やら、いろいろと好ましくない事が重なっているのだろう。夏樹姫はぶつぶつと言葉を紡いだ。柘榴は自分に対する苦情が出てくる前に口をはさんだ。
「で、なっちゃんはどうなの?」
「どうって……」
 口をはさまれたことには対して気にした様子もなく、夏樹は問い返した。
「その恋文の相手、興味あるの?」
 とても楽しそうに柘榴は笑う。
「文面は人格疑うような内容ですし、字はお世辞にも綺麗とは呼べない。仮に差出人が女性だとしてもお断りです……私はもっとこう、可愛らしくて萌えるような方が……」
 夢を膨らませる夏樹を気分的に離れた位置から柘榴は呟いた。
「私、そんな子知ってるけど?」
「それはそれは。どちらに?」
 のってきた夏樹に柘榴はすっと指を伸ばした。
「ここにいるじゃない」
 可愛らしくて萌えるような……柘榴が知る限りそれにもっとも該当する人物は、すぐ目の前の夏樹姫であった。
「喧嘩売ってます? 柘榴殿」
「いくらで買ってくれる? 夏樹姫」
 即座に切り返してきた柘榴に夏樹は言葉を失う。その隙に柘榴は続けた。
「じゃ、頼んだわよ。私は出かけるから」
「え……」
 いつも以上に楽しそうに笑う柘榴を見て、夏樹は出かかった苦情を止めた。きっと、彼に会いに行くのだろう。
「楽しんできて下さいね。上手くいくことを祈ってます」
 毎度の事ながら、夏樹は優しすぎるのだった。
「――ありがと」
 笑顔を零して、柘榴は出かける準備にとりかかった。それを夏樹は見送り、小さく笑った。
 
 
第二幕 消えた姫君
 
 柘榴はすんなりと城を抜け出した。二年ほど前、作楽が何度やっても上手く抜け出せなかったというのに、柘榴はあっさりとそれをやってのけたのだ。
(なっちゃんには悪いことしたわね……後で可愛いドレスでも買ってかえらなきゃ)
 柘榴なりの気遣いである。これを夏樹が聞いたのならば、「嫌がらせですか?」と言いそうなものだが。
「おかしくないわよね」
 一般貴族と同じような格好をした柘榴は、一度深呼吸して息を整えた。
 今、柘榴がいるのは城の外、城下町の外れに立つ、小さな屋敷の前。とても第一皇女が来るような場所ではない。柘榴はしばらく迷った後、意を決し目の前の戸を叩く――。
「急に呼び出したりして、すみません。鏡さん」
「へっ!?」
 突然かけられた声に、柘榴にしては珍しい少々間の抜けた声を漏らした。
「へ、いや。私が呼び出した遅くなったみーちゃん」
 言葉が上手く繋がらない柘榴に、みーちゃんと呼ばれた青年は笑顔を零した。
「まったく。ほんとに鏡さんは……」
 みーちゃんこと、黒島宮城。普段は誠実という言葉は彼の為にあるのではないかと思うような青年である。ただ、裏を返すと騙されやすいとも呼べる。けれどそんな彼を鏡は気に入っていた。
 流石に第一皇女であることは伏せているものの、柘榴は彼に会う為にこっそりと城を抜け出すことさえあるのだ。
「ごめんなさい。遅くなってしまって」
 彼の前では柘榴はいつも以上に表情がくるくると変わる。今度はしっかりと言葉を紡いだ。
「私の方こそ、急に呼び出してしまって申し訳ない……もしよろしければお詫びにお昼をご一緒願えませんか?」
 紳士的なその誘いに、柘榴は笑顔で答えた。
「よろしくお願いしますわ」
「では、こちらへ」
 黒島が家の中へと招き入れた。刹那。
「えっ」
 二人は眩い純白の光に包まれ、柘榴の呟きを残し、姿を消した。
 
 
第三幕 狙われた姫君
 
「一体何が」
 第一皇女、柘榴が消えた。この話はすぐさま、第一皇子、夏樹の元にも届いた。
(いつものように、黒島殿に会いに行かれたはず……)
 あのはしゃぎようからいって、間違いないはずだ。
「音桐殿、これは――」
 そして、すぐさま側近である音桐の元へと向かった。何かあれば、優しく厳しく道を指し示してくれる、音桐はそんな存在だったからだ。だが、そんな音桐から帰ってきた言葉は意外なものだった。
「やっと動いたか」
 音桐は笑顔でそう呟いた。
「明日、ですからね」
 隣に並ぶ夏目も同じようなものである。
「はい?」
 柘榴が何者かに誘拐された危険性があるというのに。
「笑ってる場合じゃないですよ」
 焦る夏樹を指し、音桐はいつもの微笑を崩さずに告げた。
「とりあえず着替えてきたら? 夏樹姫」
「え、いや、だから今はそんな場合じゃ……」
「噂の姫君よりも第一皇子の方が見栄がいいでしょう」
 返す言葉が見つからず、『噂の姫君』のままの自分の姿を見下ろす。
(好きでこんな格好してるわけじゃないのに……というか、音桐殿も夏目殿も、もうちょっと違和感とか危機感とか)
 そんなことを思ったりしていた夏樹に声がかかる。
「あ、やっぱりそのままの格好でいいや」
 一匹の黒猫が運んできた純白の手紙を手に、音桐は続けた。
「どうも、夏樹姫をご所望らしい」
 そう告げると、その手紙を渡してきた。それを受け取り、文面を追う。夏樹の顔がみるみる陰る。それはいつもの恋文によく似ていた。
 
『 噂の姫君 さま。
 
 明日、空に月の浮かぶ頃、あなたをいただきに参ります。
 是非とも、月のように美しく、星のように可憐なあなたの姿を拝見いたしたく存じております。どうぞ、御準備の程をよろしくお願い申し上げます
 なお、第一皇女はお預かりさせていただいております。こちらの願いが叶えられない場合、それ相応の覚悟をなされて下さるようご理解下さい。
 では、明日、あなたにお会いできることを楽しみにいたしております。
 

皎潔の暗殺者 』

 
「……うわ、悪趣味」
 他にいうべき事があるような気がしないでもないが、夏樹は思った事を率直に口にした。
「え?」
 普段の夏樹から想像も付かない一言だった為か、音桐は思わず夏樹を見やった。それに気付いたのか、夏樹は何事もなかったかのように違う言葉を口にした。
「というか、作楽殿もどこにいってしまわれたのか……」
 作楽がいればこんなことにはならなかったのに、というのが本音である。その呟きが聞こえたのか、夏目がなんともいえない笑みを浮かべた。それが気にならないわけではなかったが、夏樹は続けた。第一皇子として。
「これは、薔薇百合殿の耳には?」
 わずかな声の変化に音桐も夏目もすぐに反応した。
「すでに入っていると思われます。柘榴姫に関係のある物にはこの手紙に似たような物が届けられているかと」
 あの人は楽しむ為には努力を惜しまないから、と夏樹に聞こえないように音桐は付け足した。
「ということは、祭樹殿の耳にも入っている、か……明日、朝一番に会議を開こう」
 普段優しいイメージの強い夏樹だが、何かあるとガラリと変わる。それは十二分に次期王としてやっていける風格だった。夏樹にその自覚があるとは思えないが。
「分かりました」
 そんな夏樹に満足そうな笑顔で音桐はそう答えた。
 
 
第四幕 囚われの姫君
 
「いたた……まったく、なんだっていうのよ」
 柘榴は体を起こしつつ、ぼやいた。
「みーちゃん、これはどういうこと?」
 隣にいる黒島を問いただす。が、黒島はすっと柘榴の手を握り、じっと見つけて言葉を紡いだ。
「どんな花も枯れてしまうものだけど、君の顔に咲く花だけはずっと枯らさないと誓うよ」
「……はい?」
 唐突にそんなことを言い出した黒島に対し、柘榴は疑問符を浮かべた。数秒の間をおいて、黒島は別の言葉を紡いだ。
「その雪のような肌を僕の体温で溶かした――」
 黒島の言葉を遮り、柘榴は冷たく告げた。
「みーちゃん、何か変な物でも食べたのですか?」
 柘榴の冷ややかな視線にも負けず、更なる言葉を紡ごうとした黒島に、柘榴はしたたかに一撃をくれた。俗にビンタと呼ばれるものだ。
「あ、れ? 鏡、さん?」
 赤く腫れた頬を押さえ、しどろもどろに黒島は呻いた。
「目は醒めまして?」
「えっと、何がなんだか」
 きょろきょろと辺りを見渡す黒島を見て、柘榴は小さくため息をついた。
 柘榴がいるのは、一面、純白に包まれた不思議な空間。足元が不思議とひんやりとした。
「噂には聞いていたけれど……ほんとにこんなことやる人がいるなんて」
 ある種の驚きと共に呟いた。恐らく「魔法」と呼ばれるものだろう。その存在を信じるのならば、それ以外の原因は考えられなかった。
「魔法……そんな馬鹿なことが」
 黒島も同じ結論に達したのか、そう呟く。だが、これは魔法ではない。その事実に関してだけは断言できた。
(まったく。もうちょっと考えなさいよね)
 恐らくここは黒島の屋敷の一室だろう。よく見ると白の色合いが微妙に違うところがある。ましてや、部屋の片隅に「触るな危険」と書かれた発泡スチロールの箱がおかれていた。
(妙なことに対してだけは努力を惜しまないのは知ってるけど……ほんと不器用よね)
 恐らくこの純白の闇も、部屋の壁と言う壁を白く塗り、その上に真っ白い布を貼り付けただけのお粗末なものだろう。
(だとすると、例の恋文も……)
 この事態を引き起こしているであろう、犯人を思い描き、柘榴は我知らず言葉を漏らした。
「しょうがないわねぇ。もうしばらく、捕まっててあげようじゃない」
 ちらりと横を見やると、黒島が壁に触れようとしている。恐らく、まだこのカラクリには気付いていないのだろう。
「みーちゃん、やめときなさいな」
 すぐにでも分かりそうな「魔法」の模倣を眺め、柘榴はいつもの柔らかな笑みを零した。
「とりあえず、食料品を確保しなくちゃ……明日になれば迎えが来るはずよ」
 そう思っていると、窓を叩く音が聞こえた。
(う〜ん。みーちゃんに説明するのはめんどうよね)
 犯人の目星はついた。というより分からない方が馬鹿である。だからきっと、その裏では彼らが手を引いているはずだ。
「みーちゃん……ごめんね」
 言葉と同時、柘榴は再度一撃を食らわせた。それは黒島が意識を失うには十分な一撃だった。
(だいたい単純なのよね、あの子は)
 柘榴は無造作に布を剥がすと、白く塗られた窓を開けた。
「あら? 気が利くじゃない」
 食料と水分を持ってきた少年を見て、柘榴は驚きと共に呟いた。
「折角だから付き合ってあげるつもりなんだけど、大丈夫?」
 少年、柘榴の側近、薔薇百合はグッと親指をたてた。
「ありがと」
 お礼を言い、食料と水分を受け取ると、柘榴は窓を閉め、布をかけ、元の状態に戻した。
 
 間違いなく、あのじゃじゃ馬が帰ってきたのだ――。
 
 
第五幕 気付かない姫君
 
「というわけで、柘榴殿が誘拐された」
 第一皇子、朝霧夏樹は今の状況を説明し終え、一息をついた。あまり事を大きくしたくない為、集まったのは夏樹を含めた五人。
「噂の姫君を囮におびき出しましょう」
 真っ先に口を開いたのは、第一皇子側近の一人、夏目陽。恐らくこの中で最年少である。にも関わらず、真っ直ぐで納得するまで進む、強い意志を持つ少年だ。
「囮はまずいのでは?」
 それに異論を示したのは、第二皇女側近、祭樹神輿。優しすぎる一面もあるが、信念を強く持つ青年である。
「野放しにしておくわけにもいかないだろう」
 重々しく呟いたのは、第一皇女側近、薔薇百合菊梅。どこか不思議な雰囲気を持つ、美少年である。
 最終的に視線は第一皇子側近の一人、音桐へと集まった。ここぞという時に優しく厳しい音桐の意見は的を射ている事が多い。実質、今現在、国を動かしているのは彼である。
「……申し訳ないが、噂の姫君には囮になってもらおう。警護にはここにいる全員で当たる」
 ちらりと夏樹を除いた四人の視線が絡む。皆、ことの犯人が分かっているのだ。大した心配はしていなかった。だいたい、噂の姫君と夏樹が同一人物である事に気が付かないわけがないのだから。
「これでどうでしょうか?」
 唯一、事実を知らされていない夏樹は僅かな緊張を含んだ声で言い切った。
「分かりました」
「では、よろしくお願いします」
 それに夏樹は頷き、その場はお開きとなった。
 
 そして――。
 
「私に面会希望?」
 噂の姫君となった夏樹は疑問符を浮かべた。まだ日は落ちていない。皎潔の暗殺者と名乗る誘拐犯が来るには時間があった。
「お通しして」
 誰だろう、と疑問符を浮かべる夏樹の首筋に、そっと冷たい刃が触れた。
「……一緒に来てもらおうか?」
「へっ?」
 よく考えれば、噂の姫君に側近はいない。祭樹が代わりをしてくれることもあったが、夜の騒ぎを考え、今は自室に待機しているはずだ。
「あなたが『皎潔の暗殺者』?」
 気が付かなかった己の失態を反省しつつ、問う。相手の顔は見えないが、刃を握る手が震えているのが伝わってくる。
「あ? あぁ、そうだ」
 僅かな間を置いて、答えてきた。声からすると男だ。それも、妙に聞き慣れた――。
 その答えにたどり着く寸前、別の声が響いた。
「俺の名を騙るとは言い度胸だな」
 などと言いつつ、よく分からない決めポーズらしいものまで決める。全身黒ずくめ。唯一、長いビラビラとしたマントの内側だけが真紅。あまりの格好に、正気を疑う。更に言うなら、似合っていない。
(これじゃあ、まるで三流芝居だ)
 夏樹はうんざりとため息をついた。それと同時、直感的に理解した。この正気を疑うようなセンスの悪さで現れた、目の前の人物こそが『皎潔の暗殺者』なのだろう。
(認めたくないけど……)
 暗殺者と言うものはもっと格好良くあって欲しい、そんな理想があったからだ。
「て、てめぇは何者だっ!」
 何故だろう。夏樹は目眩までしてきた。最初に現れた自称『皎潔の暗殺者』がそんな事を言い出したからだ。
(アニメや小説の見すぎだろう……夢見る乙女でもないだろうに)
 首筋の刃さえ、ただの小道具に見えてくる。
「俺か? 人呼んで『皎潔の暗殺者』!」
(どうしよう、こいつら)
 夏樹は苦笑を隠せなかった。
 正直言って、こんな連中に柘榴殿が誘拐されるとは考えにくい。となると――。
 夏樹の思考がゴールに達する前に、外が騒がしくなり、戸が勢い良く開いた。
「大丈夫ですかっ?」
「遅くなってしまいました」
 やたらと騒々しく飛び込んできたのは、音桐と夏目の二人だけ。
「薔薇百合殿と祭樹殿は?」
 思わず率直に思った事を口にする。
「薔薇百合殿は柘榴姫の救出に」
 すぐに音桐が答えた。
(……祭樹殿、は?)
 大概、先の先くらいまで答えてくれる音桐が、祭樹の事を答え損じるわけがない。が、その思考を遮るように後から来た方の『皎潔の暗殺者』が口を開いた。
「噂の姫君をもらい受けに来た……その手を離してもらおうか?」
 そのまま、お世辞にも素早いとは呼べない動きで、懐から取り出したナイフを投げつける。あわや、夏樹にあたる――と思えたナイフは少々不自然な動きで、夏樹の首筋に当てられた刃をはじいた。
「――っ。覚えてろよ!」
 今時、どんな三流芝居でも「覚えてろよ」などと言って逃げる事はないと思うのだが、最初にやってきた男は落ちたナイフを見やり、どこか震える声でそう言って部屋から逃げ出した。
「おぉ。すげぇ」
 それに対し、自らの放ったナイフの行方を『皎潔の暗殺者』は驚いたように見やり、呟いた。まるで予想外の出来事でも起こったかのように。
 それから何事もなかったかのように『皎潔の暗殺者』は夏樹の手をとり告げた。
「月のように美しく、星のように可憐なあなたをいただきにあがりぃ――」
 何やら、言葉を噛んだらしい。少し間を置き、さらには咳払いまでして『皎潔の暗殺者』は言い直した。
「月のように美しく、星のように可憐なあなたをいただきにあがりました。俺と一緒に来ていただけますね?」
 『皎潔の暗殺者』がその台詞を噛まずに言い終わる頃には、夏樹もこの茶番に気が付いてしまった。気付くまでこんなにかかってしまった自分自身を死ぬほど悔やんだが。
「え〜っと……」
 その夏樹の思いに答えるように、ちらりと窓の外を見やり、音桐は『皎潔の暗殺者』に対して、告げた。
「タイムオーバーです。作楽姫」
 
 空は疾うに赤く染まり終え、静かな闇に飲み込まれようとしていた――。
 
 
閉幕 不器用な姫君
 
「っていうか、みんな気付いてたの?」
 タイムオーバーを告げられ、しばらくはごねていた『皎潔の暗殺者』こと第二皇女、作楽遊希はつまらなさそうに呟いた。
「気付くも気付かないも……あれに気付かないのはよほどの馬鹿かと」
 夏目は控えめに言っても相当呆れた様子で告げた。
「でも、皇子は気付くの遅かったし」
 拗ねた作楽をあやすように音桐が続ける。
「それだと、私が馬鹿みたいじゃないですか」
 夏樹が苦く呻く。皆、苦笑するだけで否定も肯定もしなかった。その沈黙を破るように作楽が矛先を変えた。
「だいたい、もうちょっと上手くやってくれてもよかったじゃない」
 自身の側近、祭樹へと。
「そ……だいたい、直前にやってきて、皇子を適当に襲えって無理がありますよっ!」
 負けじと祭樹も言い返す。どうやら最初に飛び込んできた暗殺者の正体は祭樹だったらしい。通りで声に聞き覚えがあるはずだった。
「無理を叶えてくれてもいいじゃない。せっかく、夏目さんとっから盗んできたのにっ!」
 買い言葉に売り言葉。言い返した作楽に、夏目は冷たく告げた。
「やっぱり、あのナイフ、私の所から持ち出したんですか」
「あ」
 しまったと言わんばかりに顔をゆがめた作楽に、夏目はため息混じりに告げた。
「まぁ、いいですけど。明らかに軌跡が不自然だったので、そうじゃないかとは思ったんですよ」
 どうにも、作楽の持っていたナイフと祭樹の持っていたナイフは磁石のような仕組みを加えた夏目の試作品で、どんな下手が投げても、片方のナイフをはじく事ができる代物だったらしい。
「いいじゃない、あのくらい」
 拗ねたように作楽は呟く。
「でも、一つわからないのよね」
 おもむろに柘榴は続ける。
「どうやってみーちゃんにあんな台詞言わせたの?」
「ふぇ?」
 何のことだか分からない、と作楽は首を傾げた。
「あたし、閃光と部屋の細工はしたけど……あんな台詞、って?」
 自然、視線は黒島に集まる。彼は首を横に振りながら口にした。
「私は知らないですよ。知らないですってば」
 不審な眼差しを向ける柘榴に黒島は必死に否定する。
「あーそれなら」
 ぼそりと口を開いたのは薔薇百合だった。
「面白そうだったんで、僕がちょっと例のあれを試してみたんですが……黒島さん何て言いました?」
 それを聞いて、夏目が続ける。
「あれかー。で、黒島さんはなんと?」
 柘榴はさも楽しそうに口を開こうするのを黒島が顔を真っ赤にして遮った。
「あれってなんです、あれって」
 相当、聞かれたくないのだろうか。
「言いたいけど恥ずかしくって言えない事を言う薬」
「ある種の毒薬とも言うな」
 薔薇百合と夏目が答える。
「そんな面白そうなことやってたの……惜しい事したなぁ」
 心底残念そうに作楽が呻く。
「ついでに言っとくと、柘榴姫と黒島さんを運んだのも僕ですよ」
「あ……」
 言われてみれば入り口の閃光の細工はしたが、部屋に運ぶ細工はしていない。本気で忘れていたらしい作楽は間の抜けた声を出した。
「で、黒島さんの台詞……は、流石にかわいそうだから今は聞かないでおくか」
 夏目は顔を真っ赤にして俯いている黒島を見やり、ため息をついた。
「あとで教えてね、お姉ちゃんっ」
「どうしよっかなー」
 それに柘榴は笑顔で答えた。ちなみに、柘榴は薔薇百合が救出し向かう前に黒島を連れて自力で戻ってきていたらしい。第一皇女の事実を知った黒島の顔は……かなり見物だったという話だ。
「で、作楽は言うことないのかな?」
 音桐が笑顔でそう告げる。
「あ、えと……う〜ん……心配かけてごめんなさい」
 作楽はかなりの時間をかけて小さく呟いた。それに皆、笑顔で答えてくれる。
「まったく」
「私がわざわざ二年間、創ってあげたというのに」
「これで皇子も王様の風格を多少は身に付けたみたいだし、いいんじゃない?」」
「まぁ、結果的には良かったじゃないですか」
「なんだか私ばっかり不幸じゃないですか?」
「私とどっちが不幸ですかね?」
「それはなんとも言えないなぁ」
 ある程度雑談が終わったところで、音桐が口を開いた。
「でも、まぁ……楽しかったか?」
 僅かな間を置いて、作楽は満面の笑みを零した。
「うんっ」
 欲しい物はたくさん手に入れた。そして、確認できた。
「なら、良かった」
 音桐は小さく頷いて、続けた。
「おかえり」
「おかえりー」
「おかえりなさい」
 そんな言葉が次々とかかる。
 
 今はまだ、その優しさに甘えてしまいそうだけど、
 「ありがとう」そう言って甘えてしまっても、いいかな?
 あたしもいつか誰かに優しさをむけられるように、頑張るから。
 
「――ただいま」
 作楽は数秒の間をおいて、答えた。
 
 
終幕 真昼の笑顔
 
「こんな感じにしてみたんですが……」
 原稿を手に、作楽遊希は不安そうに口にした。
「う〜ん」
 副劇団長の表情は固い。
 ここはラプソティー劇場。次なる公演に向けてのシナリオの話し合いがなされていた。今回は新人である作楽にシナリオ制作の話が回ってきたのだ。
「まだよく分からなくて」
 他のメンバーの顔も同じく微妙だ。
「あの。あれだったら書きなおしますから」
 予想外に回ってきたラプソティーへの参加。嬉しくて調子にのっていたのも事実だ。
(しかも今回のネタは、朝霧さんに女装させたかったのが発端だなんて言えないしなぁ)
 何せ、締め切りを大幅に破っている。ゼロより一がいいだろうと、駄目もとで持ってきてみたのだった。
 けれど、作楽は自分の提出した内容を検討するメンバーを見て、笑みが零れるのが止められなかった。みんな一生懸命に考えてくれる。なんて、あったかくていい場所なんだろう。
 窓の外からあたたかな太陽が室内を照らしている。
「ま、なんとかなるさ」
 いつもの調子で作楽は笑みを零した。駄目だったらまたその時で……次なる獲物を探せばいいし。
「俺は、狙った獲物は逃さない」
 メンバーには聞こえぬように呟いた。しつこく狙い続けるという意味で。作楽にとっての獲物は「楽しい」と感じるもの全てが対象である。
 とりあえず、目標は大きくいこう。いつものように根拠のない自信を胸に抱いて。
 
 さぁて、次なる獲物は――。


あとがき
 締め切り破りまくりの初参加となってしまいました。とりあえず、ここに登場なされているのは同姓同名の別人と言う事で一つお願いします。
 え〜っと。うん。……ごめんなさいorz
 実は、私が完成させた最長の作品だったりします。少しでも楽しんでいただければ幸いです。
 確認が甘く、かなりの誤字を発見しました。すみません。次からは気をつけたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

Rhapsody In Blue