本格推理のハットトリック
著者 朝霧 夏樹
 
 第三回企画で書籍に対するレビューを書くことが決まってから、ずいぶんと紆余曲折をしたが、結局のところ掲示板でもお勧めとしてあげている貫井徳郎氏の『鬼流殺生祭』を取り上げることにした。
 氏の作品と私との出会いは半年ほど前、去年の秋口、偶然手に取った『天使の屍』という本が最初になる。当時の私は文体の指標とすべき作者を探し、ライトノベルから一般書籍へと読書の範囲を広げようとしているところだった。
 別段、貫井徳郎という名前に覚えがあったわけでも、『天使の屍』という背表紙に惹かれるものがあったわけではない。その衝動を言葉で表すのなら、それは間違いなく『気まぐれ』に過ぎないだろう。ただ、そうして私は氏の作品と出会うことになった。
 
 『天使の屍』はといえば、退屈な作品と言わざるを得ないだろう。主人公の息子の自殺で始まった中学生による連続自殺。自殺に否定的だった息子が何故自殺しなければならなかったのか? その真相を探るべく奔走するというものだ。
 息子が思いを寄せていた女性の存在や、次々と死んでいく遊び仲間。あるテープで主人公を恐喝する青年など、物語はさまざまな展開を見せ、そして思いもしない結末を見る。ただ、自殺の動機や状況にいささか説得力を欠いたために、壁を一枚はさんだ向こう側の出来事のように、何の感慨も残すに至らなかった。
 それでも最後まで読みきることが出来たのは、迫った返却期日と、正確で丁寧な文章によるものだろう。この時点で私の氏に対する評価は、『文章の上手い方』に過ぎなかった。
 だが、その『天使の屍』を機に、私は『プリズム』『転生』『崩れる』『被害者は誰?』と、書棚にある氏の作品を端から順に消化していくことになる。そして、『鬼流殺生祭』を読み終えたとき、氏への評価は他のどの作家よりも高いものとなっていた。思わず図書館のカウンターでどうしてデビュー作の『慟哭』が無いんだと子一時間……や、それは冗談だが。
 
 氏の作品の魅力とはいったい何なのだろうか? 今回のレビューを書くにあたって私は今一度考えてみることにした。
 まずすべての作品に共通していることは、確かな文章と手堅いストーリー展開だろう。私が続けて氏の作品を手に取れたのも、この”はずれのない”ところが大きく寄与している。
 もう一つは時代に即した作品が多いことだろうか。『天使の屍』では中学生による自殺を、『転生』では臓器移植を、そして『崩れる』では近年よく耳にする陰惨な事件を彷彿させる話をテーマに扱っている(氏の名誉のために決して後追いでないことを付記しておく)。また、それら鈍重で動かしにくいテーマを遅滞させることなく進めていく緻密な構成もまた、氏の魅力と言える。
 特にこの『鬼流殺生祭』は、それらの魅力が凝縮された作品である。確かな文章は当然のこと、当時実際に起こった事件を引き合いに出したりと、明治という時世を活かしたストーリーが展開されていく。もちろん、思わずうならされるような構成の妙も、健在である。
 
 では、やや冗長とした前置きとなってしまったが、氏の魅力の最たる例をいくつか挙げ『鬼流殺生祭』の語って行きたいと思う。
 
 
 <――維新の騒擾(そうじょう)燻(くすぶ)る帝都東京の武家屋敷で青年軍人が殺された。被害者の友人で公家の三男坊九条惟親(くじょうこれちか)は事件解決を依頼されるが、容疑者、動機、殺害方法、全て不明。調査が進むほどに謎は更なる謎を呼ぶ。困惑した九条は博学の変人朱芳慶尚(すおうよしなお)に助言を求めるが……。――>
 
 
 上記の粗筋や、見開きに屋敷の見取り図と人物相関図があるように、『鬼流殺生祭』は本格推理と呼ばれるジャンルに分類されている。推薦者である山口雅也氏は『誰が?』『何故?』『どうやって?』を満たしているとして、『本格推理のハットトリック』と賞しているほどだ。
 だが、私はその評価にいささかの疑問を覚える。確かに、武家屋敷全体を利用した密室トリックや、証言のすりあわせによる犯人探しも行われるが、得てしてそれらは拙いものであり、読者を満足させるどころか驚かすにさえ至らない。それどころか、いたずらに事件を複雑に描いているために、大きな落胆を読者に与えてしまっている。『これはここまで読み進めた読者に対する背信行為だ』と、思ってしまったほど、本作品のトリックはお粗末である。
 
 ただ、それでも読者に不満を抱かせないのが、氏の作品の特徴である。
 その一つは、目を瞠るような技法の数々がふんだんに使われているところにある。情報の提示や伏線の引き方、情報と読者との距離のとり方に不可解な行動に対する説得力の付与、エトセトラエトセトラ……数ある中でもっとも私が感嘆したのが、主人公九条の相談相手である朱芳の登場シーンである。
 朱芳はヘボンのもとで医学を学んでいたという設定のとおり、『ラプラスの悪魔』や『シュレディンガーの猫』などを引き合いに出すほど博識である。そんな彼が初登場の時に語る事件が、明治の世で実際に起きた”血税騒動”である。彼は血税騒動に西洋のヴァンパイア伝説を当てはめ、独自の考察を繰り広げていく。シーンとしてはいささか冗長としているが、このエピソードで氏は朱芳というキャラクターを読者の中に植え込むと同時に、『日本社会の中に紛れ込んだ異国の思想』という、物語のバックグラウンドを見事に語りきっているのだ。
 作品の冒頭で真相を暗示させておきながら、一切の疑念を読者に抱かせない。つまり、朱芳の博識振りをアピールしつつ、まったく別の要素を同じファクターの中に埋め込むことで、物語を遅滞させることなく、必要な情報を読者の中に刷り込むことに成功している。
 このほかにも、情報と読者との距離が見事に制御しているシーンは数多く見受けられることからも、氏の構成の緻密さは疑う余地も無い。目の肥えた読者をもひきつけるだけの技巧にあふれているのだ。
 
 もう一つは、山口氏も挙げている三点の中の一つ、『何故?』の徹底的な追及である。
 前述したとおり、確かに本作品のトリックは拙く、犯人も予想の範囲内に納まってしまっている。しかし、動機に至ってはこの限りではない。多くを語ればネタばれとなってしまうので言及はしないが、明治という土壌を活かした作品作りが行われていることは確かである。
 因習、許婚、呪いなどなど……まるで明治という生地を手にしたパティシエが、ミルフィーユを織り込んでいくように、小さな”何故?”を積み重ね、一つの巨大な『何故?』の層を作り出していくようなもの。言い換えてしまえば、『誰が?』『どうやって?』という二つの要素も、この『何故?』を成り立たせるためのファクターの一つ、重ねられる生地の一枚に過ぎないことになる。
 私はそのことに気づいて初めて、山口氏の言う『本格推理のハットトリック』の指すところを知ることになった。
 つまり、個別の殺人事件ではなく、それらを含有した一つの事件、『鬼流殺生祭』そのものに仕掛けられたトリックを指しているのだ。
 『誰が?』『何故?』『どうやって?』、これらがどこに収束しているのか? それは本作品を最後まで読んではじめて知れる。その驚きはまさに『本格推理のハットトリック』ではないだろうか。
 
 ここで私が挙げていものは、氏の魅力の一端に過ぎない。ネタばれさえ覚悟すれば、語りきれないほどの魅力が隠されていることは、私が綴った四〇枚にのぼるメモが証明してくれるだろう。
 是非とも、『鬼流殺生祭』を手に取り、私では語りきれない氏の作品の魅力に触れてほしい。冒頭から仕掛けられている氏の巧みなトリックを――氷の刃を突きつけられたようなぞくりとするような潜められた悪意を――感じ取ってほしい。一様に、その緻密な作品作りに驚くものと、私は確信してこのレビューを終える。


あとがき
 皆最近あとがきを書かないなぁと思いながらも、とつとつとしたためている朝霧です。
 お気に入りの作家さんのレビューということでかなり戸惑ってしまいました。
 肩肘を張ったせいか少し分かりにくい物となってしまったことも否めないのですけど、さすがにこれ以上締め切りをオーバーするわけにも行かず急場仕立てで書き上げました。
 
 いろいろな意味でごめんなさいです……

Rhapsody In Blue