歩いているだけで切なくなる
著者 黒島 宮城
 
 第三回企画はレビューや評論とのことで、色々迷った挙句「夜のピクニック」を取り上げさせていただきます。
 しかし、いきなりメインディッシュに入るのもなんですので、まずは前菜代わりの前置きを。
 私が小説を書く上で最も影響を受けた方が、本書の著者である恩田陸さん(以下敬称略)です。当時、ライトノベルしか読まなかった私に姉が勧めたのが恩田陸の作品でした。多少読書量が増え、色んな作家の作品を読むようになった今でも、一番好きな作家は? と問われれば恩田陸と即答します。今回の企画が持ち上がり、どんな作品について語ろうかと試行錯誤しましたが、結局行き着いたのは恩田作品でした。好きだから語る。それは自然なことでと思います。
 次に、なぜ本作を取り上げることにしたのか。
 実は私が恩田作品の中で一番好きなのは「三月は深き紅の淵を」と、そこから派生した「麦の海に沈む果実」などのシリーズです。それならば、そっちを取り上げればいいじゃないかと言われるかもしれませんが、ちゃんとした理由があります。
「三月は深き紅の淵を」は、題名と同じ本が幻の名作ということで作中に登場し、その本にまつわる話が四章に渡って書かれています。とても面白く是非ともお勧めしたいのですが、同時に少々難解で読解力を必要とします。
 いわば応用問題です。基礎も知らないのに応用ができるのは一部の天才だけなので、普通はまず基礎問題からやります。そこで「夜のピクニック」です。話は単純であり、且つ恩田作品の魅力が詰まった、恩田陸入門として相応しい作品だと言えるでしょう。
 しかも、本作は「2005年本屋大賞」「第26回吉川英治文学新人賞」「『本の雑誌』が選ぶ2004年度ベスト10」一作で三つの賞を受賞しています。既に映画化も決定済み。その頃既に作家として知名度のあった著者がさらに多くの人々に知られる作品となりました。翌年、「ユージニア」が始めて直木賞の候補になったのは本作の影響が大きかったのだと個人的に考えています。
 さて、存外長くなりましたが前置きはこれくらいにして本題に入ります。
 
<――夜を徹して八十キロを歩き通すという、高校生活最後の一大イベント「歩行際」。生徒たちは、親しい友人とよもやまな話をしたり、想い人への気持ちを打ち明け合ったりして一夜を過ごす。そんななか、貴子は一つの賭けを胸に秘めていた。三年間わだかまった想いを清算するために――。今まで誰にも話したことのない、とある秘密。折しも、行事の直前には、アメリカへ転校したかつてのクラスメイトから、奇妙な葉書が舞い込んできた。去来する思い出、予期せぬ闖入者、積み重なる疲労。気ばかり焦り、何もできないままゴールは迫る――>
 
 帯に書かれていたあらすじをそのまま抜粋しましたが、要するに、八十キロを歩いているうちに色々なドラマがあるというとても単純なお話です。しかし、単純な話をいかに面白くするのかが作家の力量でしょう。
 千人以上の生徒が歩く不思議な夜を幻想的でちょっぴり切ない描き出し、少年少女の細やかな気持ちの変化を卓越した心理描写で彩っている。そもそも恩田陸は「ノスタルジックの魔術師」と謳われるほどで、その郷愁を喚起する文章にはとても定評があります。
 あらすじには出てきませんが、本書は西脇融と、そして上記の貴子こと甲田貴子の二人の視点で交互に語られます。二人にはある因縁があり、それを根底に置きながら、話は様々な方向に展開をしていきます。クラスメイトの従姉妹がおろした子供の父親は誰か、去年の歩行際に現れた謎の少年など、話の途中に散りばめられたミステリー的な要素も何かしらの形で本筋に関わってくる。
 歩行際の設定は実際に著者の母校でもあったそうで、その分しっかりしています。休憩時間の光景などもリアリティがあり、目に浮かんでくることでしょう。
 恩田陸の小説は往々にして、最初の「引き」でのめりこみ、ラストに肩透かしをくらうという欠点をもっていると言われます。しかし、それは落ちが稚拙なわけではありません。最初に提示される「謎」があまりにも魅力的なので、期待が高まるあまり結末に落胆してしまうに過ぎません。そして本書に限って言えば、結末で裏切られることはないでしょう。話の性質上、話の到着点は自ずと予想できるからです。それはすなわち、本書は中身を楽しむ構成になっているということです。
 
 こんなイベント、自分の母校でもあったらよかったな。
 読後、私は真っ先にそう思いました。学校という場所では様々な行事がありますが、同じ場所で、同じことを、同じ時間共有してやることなんて、考えてみれば全然ありません。クラスや学年という壁が常に立ちはだかります。学園祭や、体育大会はそういう垣根が薄まるから楽しいんです。でも、薄まるだけで多くの学校ではなくなることはないでしょう。歩行祭はそういうちっぽけなしがらみを全部取っ払った行事。学園祭などの楽しさを凌駕するのは想像にかたくありません。伴う疲労なんて、得られるものを考えれば大した問題ではないでしょう。より友情の絆をより強固なものにしたり、好きな人と歩いて告白してみたり、自分がそこに居たらどんなことをしていただろうか、と考えるだけでも楽しい。歩行際がなかった我が母校が残念で仕方がありません。
 本書では上記の二人を軸に精々その周辺の人々の様子しか語られませんでしたが、シリーズ化して時を同じくし展開されていた別の物語を綴れば一冊の面白みもさらに増すと思います。千人以上の生徒に、それぞれの歩行際があるのですから、それを書かないのはあまりにも勿体無い。
 
 最後に本書を読む上での注意点を一つだけ。本書はどちらかというと若年層向きの作品であり、中年の方々には結局会話しながら歩いているだけじゃん、と面白みが感じられない方も居るかもしれません。幻想的であるということはつまり、良くも悪くも現実味に欠けることです。その上、登場人物たちの青臭いこと。一見落ち着き払っているようでいて、中身は皆まだ未熟な者ばかりです。その青臭さを受け入れるか否かが本書を是非を決めることになるでしょう。
 
 最高に愉快なピクニック。行ってみたいけど、体力的な問題、時間的な問題、様々な問題があってなかなか行けない。そんなあなた、三百円分のお菓子を用意して、バッグの代わりに本を手に取り、ピクニックに行ってみませんか?


あとがき

Rhapsody In Blue