面白人生一気飲み――ハゲピカンエキス4000l配合――
著者 祭樹 神輿
夏。厳しい日差しや生い茂る草木が匂い立ち、誰もがぐっしょりと汗をかく季節だ。
それは、学校のゴミ捨て場であっても例外ではない。普段は生徒が寄り付かないところだが、夏休み中では人の寄り付く気配は無きに等しい。
……はずだった。
「なんじゃお主等、この暑苦しいのに暑苦しい雁首を並べおってからに。ちゅうか、暑くないんかその格好」
声の発生源は、直視できないほどの光だ。光の下には太く長い手足が生えていて、肉感的な体にはYシャツが張り付いている。心霊の類ではなく、まごうことなき人間だ。
反射光で見辛いが、顔には呆れたような情けないような思考を貼り付けている。線目がさらに細くなるほどに、だ。口も半開きである。
「心配してくれんのかよ、ありがてえな。心配ついでにジッとしてりゃあ、俺達も早く帰れてお互い万々歳だ。なあに、すぐ終わるさ」
その禿頭の男の前には、これまた違う意味で暑苦しい男がいる。
今時、長ランドカンと化石のような格好をしている男だ。野生的な笑みを剥きだしにし、穴の開いた学帽の隙間から目を光らせる。狼を連想させる、粘着質に濡れ光る目だ。
それに合わせる様に、男の背後の8人が嫌らしく笑う。ヒヒヒとかグヘヘとかそんな笑いだ。木刀を肩でトントン、鎖をジャラジャラ、思い思いに威嚇のポーズを行う。不思議と、個性的な格好のはずなのに典型的なものに感じてしまう。
たまに使われる焼却炉の火が灯っているわけでもないのに、めらめらと燃え滾るような陽炎が立ち込めている。それは多分、この場にいる人間の濃度のせいだ。
汗をたらしながらも、涼しい顔の遊庵。腰に置いていた手を胸の前に持ってきて、腕を組みなおす。
「はん、なるほどな。今度はお主がリーダー格か。全く分かりやすいの、よくもまあ飽きもせんと向かってくるもんじゃ。
大体にして、多勢に無勢というところが既に小物臭全開じゃぞ。あー臭い臭い、鼻がひん曲がるわ」
右手で鼻をつまみ、左手で右手をひらひらさせる。目に見えて邪険に扱う行為は、予想通りに野獣達の鼻の頭を膨らませることとなる。
「るせえ! 今日こそ汚名挽回させてもらうぜ!!」
案の定、ステレオタイプの展開となった。
眉をハの字にした禿げ頭に、不良連中は一斉に吼えかかる。敵意と犬歯を剥き出しにし、野太い声をあげて走った。野太い混声合唱と肉の壁が迫ってくるのは、生理的に逃げたくなるほどの怖気を呼び覚ます。が、
「言っておくが、汚名挽回じゃなくて汚名返上じゃぞ」
先頭の長ランに、禿げ頭――藤崎遊奄は、本日何度目かのため息と、そして太い笑みをぶん投げた。
「桃香センセ、急患じゃ。特効薬出してくれんかのー」
ガラガラと、音を立てて水色のドアを開ける。そこには合皮の茶色いソファーがあり、葉の尖った観賞植物があり、鮮やかな熱帯魚の入った水槽があり、
「またケンカしてきたの? そういうことはしちゃいけませんって、何度もむぁ」
小鳥の囀りのような美声もあった。が、余韻を残してすぐに消えた。
「まーまーセンセ、こればっかりは男としてしょうがないっちゅうもんじゃ。特効薬、早う頼んますわ」
唇を人差し指で抑え、桃香の口を閉じながら催促する。そうすると、桃香は渋々と椅子から立ち上がり、流しのほうへと姿を消した。リノリウムの床が煌き、桃香の足音を紡ぎ出す。
その後姿を見て、遊庵は二つの事を考えていた。唇柔らかかったの、役得じゃなというスケベ精神と
(眉根を寄せて上目遣いすると、案外幼く見えるもんじゃの。まあ、若い先生じゃし人にもよるんじゃろうが、それにしても……)
そこで、一旦思考は止まる。
桃香は、可愛いというよりは綺麗という類の女性である。憂いを灯す、切れ長の瞳。すっと通った鼻梁。艶やかな黒髪の下には、雪のように儚いうなじ。背も女性としては高いほうで、スタイルもいい。胸もケツもいい塩梅にデカイ。
性格もそれに準じるもので、絵に描いたような深窓の令嬢、というイメージがある。世間知らずではないのだが、妙に礼儀作法や立ち居振る舞いに優雅さを感じるし、ピントのずれたモノの考え方をするときがあるのだ。
だが、それだけではない。「深窓の令嬢」というステレオタイプなイメージの中に、うっすらとだが違う匂いを感じる。それは五感で感じれるものではないが、だからこそ男の胸元をくすぐるものであり……
「なあセンセ、男でも出来たか?」
考えていたら自然と言葉が口を付き、いつの間にか下がった顎を上げていた。一瞬だけ、差し込む陽光が直接当たって眩しかった。
虚を付いて出た言葉には、確信のない根拠を感じた。遊庵は、物事の嗅覚には鋭いと自負している。
「……いません。それに、今はあなた達生徒の事で精一杯だもの、そんな暇ありません」
が、自負はあっさりと打ち砕かれた。
返ってきた言葉は、若干のラグと硬さがあるもののいつも通りだった。言われ慣れているのか、まるで手指を動かすかのごとく、すんなりと放たれていたのだ。
それに、シュンシュンと湯気の立つ音が、これ以上の詰問を制止しているような気がした。
「ほうか、もったいないの」
ふむ、と首を縦に振る。興味をなくしたのか、今度は薬棚から消毒液を取り出して、手際よく塗っていく。Yシャツのボタンを外して胸の辺りを塗ると、線目のままで顔を歪めて眉間を詰める。
「おー、痛つつ。まあ、大した怪我はないしこんなもんでええか」
「勝手に薬使っちゃいけませんっ。ちゃんと先生に治療してもらわないとダメでしょう。素人療法は体に毒よ」
注がれる水音が聞こえたと思ったら、すぐにスリッパが床を叩く音がこちらに向かってきた。
振り向いてみれば、緑の湯飲みを携えて桃香が立っている。表情は眉を立てたもので、諌める視線を持っている。
「ケチ臭いのセンセ。大体、いつものことじゃ。もう玄人と変わらんて。ちゅうわけで、特効薬ありがたくもらうの」
湯飲みを奪い、ソファに座って喉に流す。焼けるような熱さとお茶の香ばしい匂いが、いっきに食堂を走る。水分と熱を吸収した分、首筋を汗が伝う。
熱さと渋みに少しだけ顔をしかめるが、布団のようなソファに体を沈めて息をついた。体も顔も弛緩しきって、だらしないことこの上ない。
「うーむ、美味い。センセ、相変わらずお茶淹れるの上手いの……おかげで足繁く通ってしまうわ」
湯飲みを目の前にかざして、芸術品を見るような目で笑みを作る。と言っても、線目はそのままだったが。
その奥で、もう、という言葉と、体の力を抜くような吐息が聞こえた。視線を湯飲みの向こうに移すと、困ったような笑みを浮かべて、白衣のポケットに手を突っ込んでいる桃香がいる。
「良いお茶っ葉くれるは嬉しいんだけど……褒められたことをしているわけじゃないのはしっかりと理解しておくのよ。左耳のピアスだって、校則で禁止されているのに……夏休みだからって好き勝手にしていいわけじゃないのよ?」
「分かっちょる分かっちょる。心配しなさんな、老けるのははよなるぞセンセ」
聞き流しながら、手をヒラヒラさせて茶をすする。桃香は眉根を寄せるが、遊奄の向かいのソファに腰を降ろした。
「ケンカしないで、ちゃんと仲良く出来ないの? 寺岡君とはちゃんと付き合っているんだし。藤崎君はしっかりしてるから、出来ないことはないと思うのだけど」
上半身を前に倒し、肘を腿に乗せて、さらに両手に顔を載せる。覗き込むような姿勢なのだが、眉が立っているせいか詰問されているように感じる。
その言に対し、遊庵はふーむ、と気のない返事をし、顎を掻いた。遠くを見定めるような視線は、桃香も何も視界に入ってないようでもある。
「寺岡隼磨か。保健室繋がりで多少いざこざはあったが、あれで中々弄ると面白くての。たまーに陰気臭くてたまらんが」
話をそらすな、という表情が伝わってきたので、一旦話を切って考えあぐねる。面倒臭いのう、と心の中で嘆息するが、仕方ないという気持ちを持って心を決めた。
重く、ゆっくりと口を開く。
「まあ、のらりくらりとかわす事も出きるんじゃがなあ。ああいうんは、受けて立ってやらんと男がすたる。そっちのほうが礼儀に叶っとるちゅうもんじゃ」
大人びた仕草の割に、口調や内容は軽い。これが遊庵の良いところでもあり悪いところでもある。
吐き出す息に、空気がやんわりと揺れた。それを受けて、桃香は毒気を抜かれたように表情を落とした。
「私は男の人の事はよく分からないけど……そういうものなの?」
「ああいう奴に限ってはの。番長なんぞ因果なもんじゃ。まあ、それに」
そこで言葉を止めて、悪戯っ子のような、口を真横に開いた笑み。それを桃香に見せ付け、手を口に添えて低く小さな声を放った。
「受けたほうが面白いしの」
桃香は意味が分からなかったのか、眼を丸くしてキョトンとした。が、すぐに目を吊り上げ、叱責の言葉を浴びせようとする。
だから、遊奄は機先を制す為に勢いつけて立ち上がった。突飛な行動にまた目を丸くしている桃香に、先ほどと同じ笑みを送る。
「センセ、お茶サンキュの! 学校に用事が出来たらまた寄らせてもらうわ!」
片手を上げて会釈の意を示し、風のように保健室を去った。三歩でドアを出て走り出せば、後ろから桃香の怒声が聞こえる。あの美女保険医が嵐のように怒っている様を想像すると、似合わな過ぎて思わず噴出しそうになった。
「すまんのセンセ! 今回は用事があるけ、また今度お詫びするわ!」
保健室から出てきた桃香にまた手で会釈をし、遊奄は玄関へと走り去っていった。
あとがき
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