魔物
 
 
 劣情で引き止めて。
 その度に汚れていく。
 
 洗っても洗っても綺麗になんかならない。
 真っ白な想いなんてもうないのかもしれない。
 
 「おかしくなりそう」
 
 
 偽りであっても戯れではなかった筈なのに。
 初めの躊躇も羞恥も痛苦も忘れてしまった。
 
 今は堪らなく好く堪らなく娯しい。
 そして酷く痛くて酷く苦々しい。
 
 「とめてほしいのに」
 
 
 あなたを憎み切れたら良いのに。
 一思いに殺してしまえたら!
 
 真っ白なまま愛せたら良かったのに。
 何処までも行けそうなブランコみたいに。
 
 「けれどもわたしは」
 
 
 指と指を絡めて。
 唇から始めて。
 
 優しさは仕舞っておいて。
 滅茶苦茶に壊してくれる?
 
 
 「またみちをはずし……――」


魅惑
 
 
 「声」が発せられれば。
 戦慄が波動のように駆け抜ける。
 冷酷な氷塊のような、ソプラノリリコ。
 
 その「声」は。
 魅了する程の歌を披露する。
 透る湧き水のような、ソプラノリリコ。
 
 赤痣が残るくらいの口付けで、刻印を刻む。
 貴女から苦しそうな声が、吐息と共に漏れる。
 甘い葡萄酒のような、ソプラノリリコ。
 
 
 
 緋色の唇から、耳に注ぎ込まれて。
 溢れ、零れ、沈められてしまっても。
 俺には、届かない。
 
 まやかしでも――そう願ったのは、俺なのに。
 まだ飽き足らないとでも言うのか。
 これ以上、俺は何を望む?
 
 
 
 ソプラノリリコは、今日も耳元で囁き続ける。
 溺れながらも、実態を掴もうと手を伸ばす。
 
 掌を開いたときに、何を握っているのだろう……。


無理矢理
 
 
「ごめんね、来ちゃった」
 あなたは、目を丸くして驚いていた。
 無理もない。わたしは飛行機を使って、あなたに突然会いに行ったのだ。
 
 
 あなたと朝陽を浴びたかった。
 やり直せると信じたあの朝に。
 スコール前の、あの眩しい朝陽に。
 
 淀むことはあっても、遡れないのに。 
 
 丸呑みさせた言霊。
 いつか吐き出すのではないかと、不安になり期待していたけれど、あなたは忠実に守り続けてしまう。
 その身が軋んで、バラバラになったとしても。
 だから、こんなに泣きそうな表情をしている。
 
 もう戻れないのならば。
 断ち切ってあげなくては。
 これ以上強いたりしないから。
 最後の我儘だから。
 
 鮮やかに朧げに憶えて。
 後悔と決断とを隠して。
 闇夜に紅を。
 朝陽に桃を。
 
 全てに白を。
 
 
 
『これで、最後だった』


盟約
 
 
「おそとは、あめだね」
「ブランコ、むりよね」
「なにして、あそぼうか?」
 
 貴女の答えは決まっていた。
 
「おままごと!」
「え、また?」
「……いや?」
 
 その表情に俺は負けていた。
 
 
 貴女がおままごとばかりを選ぶ理由を、俺は知っていた。
 貴女は、真っ白なウェディングドレスに、憧れていたのだ。
 普通はそこでお終いなのに、貴女はそれがどういうことかを解っていた。
「おおきくなったらね、およめさんになるの」
 大きな蒼い瞳をキラキラさせて、貴女は言う。
 
 あの頃は、あの頃なりに本気だったけれど。
 俺は貴女ほど解っていなかった、と思う。
 だから、果たせるかどうかもわからない誓いを、口にしていた。
 
「およめさんに、してあげるね」
「ほんとう!? きっとよ?」
 貴女の笑顔が、零れた。
 
 
 
 随分と昔のことだ。貴女は忘れてしまっているだろうな。
 今は娶るだなんて、大それたことは言わない。
 
 この手で貴女の願いを何でも叶えたい。
 それは、昔と変わらないことだけは、確か。


もっと
 
 
 メールが着く。
 「元気?」という件名、気遣いの言葉が綴られた本文。
 返信を打つ。
 「元気」という件名、御礼の言葉を綴った本文。
 
 メールが着く。
 「良かった」という件名。あなたの最近の様子が綴られた本文。
 返信を打つ。
 「貴方も元気そうで良かった」という件名、わたしの近況を綴った本文。
 
 メールが着く。
 返信を打つ。
 
 気が付けば夜中の二時で。
 「明日に障るよね」というような内容で終わった。
 ……どんなにくだらない話でも、一晩中続けたかったのに。
 
 
 見透かせそうで、見透かせない。
 知りたくても、口に出せない。
 厄介な柱をぐるぐると回っているだけ。
 
 あなたは、どんな気持ちでいるのだろう。
 わたしと、同じ気持ちでいるのかしら。
 拒絶を是としたのは、あなたなのよ? ……というには、あまりに酷で。
 
 
「会いたい……」
 零れ落ちた、涙。
 
「会いたい……会いたい……会いたい……っ」
 明け始めた、夜空。

Rhapsody In Blue