太陽が沈むまで
 
 
 貴女は緋の紐で焦げ茶の髪を結う。
 それは、戦の合図。
 氷の表情に漆黒の闇を携えて、貴女は紅い花を次々と咲かせる。
 狂ったように咲く紅い花で、真っ白な手を染め上げる。
 それが、「鬼神」と謳われる所以。
 
 誰の為に、何の為に、貴女は流血を望むのか。
 否、望んでなどいないのに。
 
 答えることはない。
 ただ、その厚い氷の下に、膨大な想いを抱えて。
 
 
 貴女の空虚で冷たい眼差しを見る度に、夜が訪れるのを待ち焦がれる。
 闇が支配すれば、貴女は解かれて、自由に飛びまわれるし、囀ることも出来る。
 流星の煌きを、その蒼い瞳に灯して。
 
 貴女の為?
 否。
 籠に閉じ込めることの出来ない鳥ならば、せめて、遠くから眺めたいという、俺のエゴの為。
 
 
 
 あの時は、そう思っていた。
 でも……結局最低な方法で、鳥を捕らえてしまった。
 それも、俺のエゴの為。
 
 もうすぐ闇夜がやってくる。
 待ち焦がれていた筈の夜が、今ではとても腹立たしくなる。
 
 闇夜は、狂気を伴って、忍び込む。


ちゅ。
 
 
「おとうさま、だいすき!」
 大好きなお父様に抱き締められて、私は頬にキスをした。
 これが、一番古い記憶。
 
 銅色の柔らかな髪と、金色の優しい目をした大好きなお父様。
 でも、知ってしまった。
 
 私が、大好きなお父様を、殺してしまうことを。
 この手でに掛けるのではなくても、私がいることで、死んでしまうことを。
 
 「それは運命だ」――そう、言っていた。
 
 お母様は私を連れて、お父様の下を去った。
 しかし、十年以上の年月を経て、私はお父様の下に現れた。
 皇女としてではなく、将軍として。
 殺すのではなく、守る為に。
 
 お父様の為なら、騙りを働いたし殺戮を繰り返すこともした。
 大好きなお父様が、定められた道を歩まないように。
 
 けれども、預言は成就してしまった。
 私は、大好きなお父様の為に何もしてやれなかった。
 
 
 
 それでもあなたは、「もう責めなくていい」と言うの?
 大好きな者を死なせておきながら、生き延びてしまった私なのに!
 
 
 取り乱したわたしを、あなたは抱き締める。
 大好きなお父様を思い出してしまう。
 
 わたしを本当に愛しているのならば。
 慰めの抱擁よりも、償いの制裁を。


月の下
 
 
 始まりは、闇夜に浮かんだ満月。
 孤高の戦人が、可憐な歌姫へと変化を遂げた瞬間。
 それは漠然と、しかし確実に。
 
 恋に落ちた。
 
 
 
 およそ五年と、二十年弱。
 ……友人のことを笑ってられないな。
 
 満月を見ると、貴女を思い出す。
 戦人の貴女も、歌姫の貴女も、そして童女の貴女も。
 
 
 
 再会は、園庭の木の下。
 泣いてばかりだった貴女が、笑顔を見せた瞬間。
 やはり漠然と、そして確実に。
 
 どきりとした。
 
 
 
 解けない魔法なのか、不治の病なのか。
 囚われたと言うべきか……否、自ら選んだなのかな?
 
 二度も、同じところに辿り着くなんて。
 
 
 偶然の所産なのか、何者かの悪戯なのか。
 性質が悪いと言うべきか……否、そのことを感謝すべきなのかな?
 
 二度も、貴女を好きになるなんて。
 
 
 今宵は満月。
 金色の柔らかな光に包まれながら、貴女を想う。


手を、伸ばして
 
 
 あなたは温かな手を伸べてくれた。
 だけど、それを掴んだら、それに縋ったら、壊れて消えてしまいそうな気がするの。
 
 あなたの優しさが。
 あなたの微笑みが。
 あなたの温もりが。
 
 こわい。
 
 掴みたい。
 縋りたい。
 でも。
 失いたくはない。
 壊したくはない。
 
 この懼れが、あなたを傷めつけているのに。
 この怖れが、わたしを追い詰めているのに。
 
 だから、わたしは、あなたの手を振り解いてしまう。
 それでも、あなたは、わたしを手を掴もうとしてくれる。
 
 あなたを創だらけにしている、このわたしの手を。
 
 
 ……わたしは駄々をこねているだけ。
 あなたに甘えているだけ。
 
 
 沢山言わなくてはいけないことがあるのに。
 また、束の間の満足の方を選んでしまったのね……。


吐露
 
 
 興味本位も無きにしも非ずだったが、強い酒が欲しかった。
 
 衝動買いで、スピリタスを手に入れた。
 何処かでキンキンに冷やして飲むとあったので、冷凍庫で保存して飲むことにした。……普通はカクテルのベースや果実酒として使うそうだが。
 
 飲んだ瞬間、痛みにも似た感覚が通り抜けた。
 それが過ぎると、甘味が広がった。
 悪くない――そう思った。
 
『その飲み方は、あの男に似たのね! 本当にロクでもないことを教えるんだから!』
 ふと、昔の女友達の声が蘇って、苦笑が漏れた。
『“あの男”――師は、本当にお酒が強いんだけどね』
 その時、俺は彼女に肩を竦めてこう答えた。
 
 師は、結局彼女に自分の想いを伝えたのだろうか。 
 それとも、死ぬことを知っていたから、自分の胸に秘めたまま逝ったのだろうか。
 ……どうして、こんなことを考えるのだろう。
 
 口に含む度に、焦燥感が広がる。
 
 俺は、貴女にいつか言えるのだろうか。
 いつの間にか変わる主語。
 彼とは違って、俺の死期はわからない。
 だからこそ、このまま仕舞っておきたくはないのに。
 
 ただ。
 
「愛しているのに……」
 
 その辺りで、俺は意識を手放した。

Rhapsody In Blue