サニーデイズ
 
 
 海へ行こう!
 新しく買った水着と、早起きして作ったお弁当を持って。
 
 
 
 真っ青な空に花のようなパラソルで陣取って。
 わたしは熱い白砂を駆け出した。
 透き通った水の中では、色々な生き物が息づいていて。
 わたしは飛魚のように跳ね踊る。
 
 最初は呆気に取られていたあなただけど。
 自然に表情が崩れて、わたしと一緒にはしゃぎ回る。
 
 何も知らなかった、あの頃のように。
 
 曇りのないあなたの笑顔をを久しく見ていなかった――そんなことを思いながら。
 真っ直ぐにあなたの顔を見ている自分に気が付いた。
 
 どうして?
 嬉しいのに。
 
 涙が溢れてくるのだろう。
 
 
 太陽は何れ沈む。
 わたしは夕暮れを迎える前に、あなたに言えるのだろうか。
 
 
 泣いているわたしを不思議そうに見詰めるあなたに、「潮風の所為よ」と誤魔化した。
 
 
 ああ、自転を止めてしまいたい!
「太陽よ、止まれ!」――古い書物のように、真昼のままで。


周知の事実
 
 
「……ごめん。俺、彼女がいるから」
 存外すんなりと出てきた台詞で、相手は泣き出しそうな笑顔をこちらに向けた。
 断るときはいつも何処かに棘が刺さるが、かといって、関心もないのに付き合うのはもっと傷付くだろう。
 
 「彼女がいる」。
 
 本当である。
 でも真実ではない。
 
 誇り高き女神は、俺を認めてはいない。
 
 
 
 灼けるような衝動の後に、必ずやってくるのは冷えた不安。
 それを掻き消す為に、薪を燃やしてしまう。
 
 涙で濡れた蒼い瞳は、とても綺麗なのに、透過していない。
 
 俺の視線に気付いて、貴女は表情を曇らせる。
 貴女は解っている。
 けれど、陽で包むよりも、火で焦がすことを要求するのだ。
 
 貴女から聞きたい。
 否、聞きたいのではない。
 俺が言いたいのだ。
 
 でも、貴女はそれを拒む。
 だからこうして薪を焼べる。
 
 無言で貴女を抱き締めて、貪るように唇を奪う。
 行き場のない言霊の分まで。
 
 
 欲しいのは、飾り立てられた沢山の嘘よりも、一つの真実なのに。


するり
 
 
 完璧に補修したのに。
 わたしは、何処から解れたのだろう。
 
 
 
 携帯が着信を告げる。
 このオルゴール音は、あなたから。
 ボタンを押して、右耳に受話器を押し当てる。
 
「……珍しいね、メールじゃなくて電話だなんて」
「何となく、電話したくなって」
 
 その「何となく」が嬉しい。
 
 窓を眺めながら、あなたと話す。
 細い月が、こちらを見てる。
 これから満ちる三日月だった。
「月、綺麗」
 思わず零れ落ちた。
「……本当だ。今日は三日月なんだね」
 
 遠く離れているけれど、あなたと同じ空の下にいるのだ、と、思う。
 
 会話が途切れて沈黙がやってくる。
 月を眺める。
 時間を共有する。
 
 どうして、こんなにくすぐったいのだろう。
 
 
 
 繕い忘れたところから、あなたは縫うように入り込んできた。
 そのまま居座ることを許したのは、きっと……。
 
 ……わかっている。
 でも、まだ決心は付かない。


性格不一致
 
 
 それは弦が切れるように、ぷつりと起こる。
 
 
 気が付くと、大抵は天が見えた。
 酷い頭痛を伴うことが殆どだった。
 
 また、やってしまったのか……。
 仰向けの姿勢のまま、溜息を吐いた。
 
 どれが“俺”なのだろう。
 時々判らなくなる。
 凪も時化も同じ海なのに。
 整合性を見い出せなくなる。
 
 残虐な魔物は風を解き放ち、稲妻を走らせる。
 飽くことなく血を求め、屍を積み上げる。
 ……尤もその前に、強力な薬で抑え付けられてしまうのだけど。
 
 
 そういえば、頭痛が、ない……?
 
 赤い髪の少年が、不貞腐れた表情で傍らに立っているのに気が付いたのは、そのときだった。
 
 
 魔物を貴女が鎮めた――そう聞いた。
 薬によるのではなく、歌によって。
 
 
 
 どんな歌だったのだろう。
 貴女に聞いてみたけれど、教えてはくれなかった。
 長い時を経た今なら、答えてくれるだろうか。
 
 そう思って、尋ねてみた。
 
「あのときの歌って鎮魂歌?」
「違うけど……秘密」
「どうして?」
「そのうち、ね」


染まれ
 
 
 命令ではないけれど。
 そうしたいと思ってしまう。
 
 ティーよりもコーヒーで。
 マニッシュよりもフェミニンで。
 ルージュよりもグロスで。
 
 ほんの些細なことだけど、あなたが好きなもの。
 口には出さないけれど、表情を見ていたら判るの。
 
 一緒にいるなら、喜ばせたいでしょ?
 況してや、あなたを鉄の鎖で繋ぎ止めているのなら。
 
 
 
 “御姫様”は我儘で愚鈍、そして狡猾。
 私はいつまで耐え忍ばなくてはならないのだろう。
 これも、運命を変えられなかった為だとしたら、贖わなくてはならないのだろうか。
 
 私は、あなたを、憎悪して止まなかった……筈だった。
 でも今は、あなたよりも“御姫様”が憎くて仕方ない。
 
 いつから私は、こんなに脆弱になってしまったのだろう。
 傲慢だけど、何ものをも凌ぐ強大な力が欲しかったのに。
 
 
 
 本当はわかっているのでしょ?
 わたしを憎むのは、依存している証拠じゃない?
 殺めたいのならば、そうしてもいいのよ?
 
 何れにせよ、鎖を千切るつもりはないのだから。
 錆び付いて脆くなったとしても、自らは絶てないことを、知っているもの。

Rhapsody In Blue