夏の終わりに届いたメール〜今、あなたの後ろにいるの
著者 音桐 奏
『ねぇ、今、あなたの後ろにいるの』
マナーモードにしていた携帯を取って見ると、そんな文面のメールが届いていた。件名は無題。差出人は登録されていないメルアドだ。どこかで見たことある、これ。多分怪談によく出てくる。これで後ろ振り向いたらいるんだよな、幽霊が。
「……いるの?」
口に出して、ゆっくりと部屋を見回す。夏の空気は熱くて、ねばっこくて、体にまとわりついてくるようだ。額から流れる汗を拭いながら異変を感じ取ろうと意識を集中する。
物心ついて今年で十八歳。小学生からずっと使っている部屋は染みの数まで理解出来る自信があった。何か変化があれば分かるはず。さっきまでいた彼女の残り香を含めても。
めくり忘れて六月のままのカレンダー。
彼女と一緒にまとめてやっていた宿題の残骸が載っている勉強机。
残暑の熱をかき消すためについているクーラー。
床に落ちているエロ本。腰掛けているベッド。銀色のノブがついている木製の扉。制服の端が覗いているクローゼット。
……何も変わった様子はない。そもそも空気も変わっていない。ただ、かすかに外から風が入ってきているようだった。
(外、から?)
ちょうど背中の正面にある窓を開けた覚えはなかった。クーラーをつけながら開けていると親に無駄だと怒られるから、ここ数年はクーラーをつけるのと窓を閉めるのはペアになっていた。週間は、そう簡単には変わらない。クーラーは付いている。なら窓は閉まっているはずだ。
……気づいてしまった。
何でクーラーが動いてるのに汗が出るほど熱さを感じてるんだ?
「困ったな、マジで」
独り言にしてしまえば恐怖が和らぐかと思えばそうでもない。助けを呼ぶか? 下にはまだ両親が起きているはずだが、まずは部屋を出ないことには呼びよう……いや、呼ぶのは本気でまずい。今、この部屋に入れるわけにはいかないだろうが。
その時、俺の耳にかすかに生暖かい風が届いた。
(やっぱり、幽霊がいる!?)
幻覚なのか現実なのか。この部屋を濁らせてる生暖かさが外からの風で動いただけかもしれない。でもこんなに風って人の息っぽい匂いとか、感触するか。
覚悟を決めるしかない。勢い良く振り向いて、その反動でベッドから立ち上がって、そのまま一階に下りればいい。勘違いならばそれだけだ!
一、二の三で左肩から後ろを覗くように体を捻る。左手は反動で後ろへと投げ出され、裏拳のようになった。
「うわぁああああああああ!」
左腕に衝撃が走ったのと同時に、黒い影が倒れていくのが見えていた。起き上がった体を支えるように後ろに数歩下がる。急に叫んだことと動いたことで心臓の音が煩い。息も荒い。荒く息をしていても、違和感を感じることは出来た。
左手がしびれてる。それに繋がるように考える力もしびれているみたいだ。黒い影は確かにあって、それを殴りつけた感触もある。
確かに、何かがいた。まさか殴れるとは思っていなかったけれど。ゆっくりと窓側の壁とベッドの間を覗いてみると、彼女が倒れている。服は黒いワンピース。自慢の長い髪の毛を前に下ろして日本映画に出て来るような幽霊のようだ。手から飛んだ携帯を取って見るとさっき俺に送られてきた文面があった。
「そんな……」
顔から血の気が引いていくのがリアルに分かる。彼女を殴り倒す感触は手に残ってる。震えが、止まらない。
「なんで、だよ」
彼女の携帯を放り出して、逃げろと頭のどこかで呟く声がする。今すぐ逃げて、一部始終言えばいい。罪を告白して守ってもらえ。そうじゃなければ。
俺がさっき殺してしまったはずの彼女が、起き上がるはずがない。
ぶるる、と俺の携帯が震える。立ったまま金縛りにあっていたかのように動かなかった体が、弾かれるように携帯に向かう。机の上で震えてるそれを手にとって見ると、またメールが届いていた。
『ねぇ、今、あなたの』
文面は途中で切れている。
俺の目の前に立っている。
あとがき
私リカちゃん。あなたの後ろにいるの!