あけましておめでとうございます
著者 音桐 奏
振袖姿の女性の手を引きながら歩く男。手を引かれて陽光に勝るとも劣らない輝きを放つ笑顔を浮かべている女。両親の周りを雪に取られる足を気をつけながらはしゃぐ子供に、寒そうにコートのポケットに手を入れて歩く男あるいは女。
往来は初詣に向かう人々で溢れている。最近の温暖化の影響下、昨年よりも降雪量が少なく気温も高いため、心なしか軽やかな足取りを皆が見せているように朝霧夏樹(あさぎりなつき)は思う。自宅の居間と外を隔てる窓から見えるその光景を微笑ましく感じる反面、地球環境の破壊や世界各地で起こる戦争、日本のあり方の行方について思考をめぐらせる。
(ああ、カップルって良いな。新年早々いちゃいちゃかよ)
「朝霧さん。思考が何かと合っていません」
背後からかけられた声に、頭の上からビックリマークを出しながら夏樹を振り向く。そこにはピンク色のエプロンをしたショートカットの女の子が煮立った鍋を掴んで立っていた。一瞬、そのまま自分へと中身をぶちまけるのだろうかと夏樹は身震いで応じたが、すぐに今の状況を思い出す。
「あー。持つかい?」
「助かりますー」
ミトンに包まれた手を見て自分も何かつけるべきかと周りを探すも、あるのはせいぜい手袋のみ。
「男ならきっと素手で掴むと思うんです」
上目遣いで覗き込んでくる少女に夏樹は頬を赤らめながら鍋の取っ手を掴んだ。指先から伝わってくる熱の連鎖にダウンしそうになる思考を押さえつけて、テーブルに配置された持ち運び用ガスコンロへと降ろす。
「さすが夏樹さんですー」
「いや、うん。作楽さん」
遊希と呼ばれた少女は「へへっ」と満面の笑みを向け、台所へと戻っていく。そこから鼻歌で、とある女性歌手のメロディが流れてきていた。確か、やけにエロスでハードな歌詞だった気がすると夏樹は考えるが、居間に続々と集まってきた面々によってその考えは虚空へと消えた。
「あけましてー」
「おめでとう」
『ございます』
「今年も」
「よろしく」
続々と現れた三人は新年の挨拶を口にする。一人は何故か看板に書いた文字で。わざわざ言葉を分けて話したそのノリに夏樹は一日前と変わらないことを認識して頬を緩めた。年が変わろうとも自分らの空気感というのは変わらないのだ。
この場は、単なるサークルメンバーの新年会だ。家族でも恋人でもない。しかし、夏樹はそれでも上げた人々に匹敵するほどの絆をメンバーに感じていた。昔から共にいることを定められているかのようだ。
「皆揃ったみたいだな」
サークルリーダーである音桐奏(おとぎりそう)が見回して言う。社会人らしくスーツに清潔感ある短めの髪型。眼鏡の奥にある瞳は温かさがにじみ出ていたが、細いために出る量は少ない。そんな音桐は仕事で遠くに離れていたため、皆の前に姿を表すのは実に二ヶ月ぶりだった。その間は夏樹ともう一人、サークルの母こと鏡柘榴(かがみざくろ)がサークルを運営していた。
音桐の帰省と二人のお疲れ様会、そして新年会を兼ねた無敵の鍋祭というわけだった。
「無敵無敵」
「無敵無敵呟いてますねぇ、なっちゃん」
みんなの分のお茶をお盆に載せてやってきたのは清流のような艶やかな髪質を持ち、美麗な面立ちの女性だった。その場の誰もが一瞬息を飲む。同じサークルメンバーとなって一年は経っていたが、いまだに誰もがその美しさに動きを止めていた。おとぎ話に出てくるような整った姿を持つのは、鏡柘榴と呼ばれる姫だった。
「さて、始めちゃいましょうかね。皆さん座ってください〜」
【心得た!】
夏樹を含む七人が同時に発声し、着席する。鏡はメンバーの配置を確認してからガスコンロの火を入れて鍋をぐつぐつと煮立たし始めた。それまで温めていたことですぐに湧き上がるはずだった。
「さて、始めましょうー。新年明けましておめでとうございます」
【おめでとうございます!】
首を少し傾げつつおめでとうございます、という鏡につられて誰もが同様に叫ぶ。一年の始まり。
熱き戦いのゴングだった。
場に集まったのは八名。サークルを構成するメンバーである。リーダーである音桐奏から時計回りに鏡柘榴、黒島宮城(くろしまみやぎ)、囮禽畔(おとりどり ほとり)、祭樹神輿(まつりぎみこし)、薔薇百合菊梅(ばらゆり きくめ)、作楽遊希(さがら ゆうき)、そして朝霧夏樹である。無論、本名ではない。
創作サークル、RIN(レボリューションインビジブルにょふん)。
世界に轟く隠れ組織だ。活動内容は小説やイラスト、漫画、ノベルゲームといった物語を紡ぎ出す媒体の創作である。同人誌やネットの世界にて作品を公開しているが、必ず他のサークルの一部として発表するため彼ら自身の名前は表に出ない。誰がどの作品を書いているかなどもメンバーしか分からず、ある種の都市伝説と化していた。
「さて、新年も明けたので朝霧さんからお年玉の贈呈が行われます」
社会に出ている音桐の財布からは何も出ない。何故なら朝霧が年齢不詳であり「年齢不詳なら一番年上でもいいよね。そして一番年上がお年玉ってばっちゃんが言ってた!」という強引かつ的確な押し切りによって、お年玉配布係が決定したのだった。夏樹は声に出さず思う。
(まあ、十代は遊希ちゃんと囮君と菊梅君だし。三人なら……)
「楽しみだなー。いくらもらえるんだろう」
音桐が財布を開いてわざわざ夏樹へと向けている時点で祭樹が突っ込んでいた。
「あなた社会人なのに貰うんですか!?」
「何を言うんだい、祭さん」
音桐は胸を張り、堂々と語った。
「当たり前じゃないか」
場を支配する、風。それも生暖かくお腹の虫を激しく歓喜させるような。
「鍋を突付きながらお年玉貰いましょ」
鏡が鍋の蓋を開けたのだった。
煙が晴れると表れる、蟹の見事なバラバラ死体。外骨格を壊され、さらけ出される肉。そこから溢れてくる汁は良いダシとなって盛り合されている野菜をコーティングしていた。ほんのり色に染まっている姿身に、皆の喉が鳴る。
「では、いただきますの音頭をお年玉で」
「しょうがないですな」
夏樹は覚悟を決めて懐からお年玉を取り出した。袋が、七つ。束ねてあるトランプのカードを扇形に開いていくように、袋がさらりと半円を描いた。
「この中には一万円から百円まで入ってます。これからあみだで封筒のどれかを当ててください」
「あみだ!?」
『一万円くださいー』
祭樹が突っ込み、菊梅は願いを書いた看板で夏樹を襲う。チョップと看板を見事に身体で受け止めながら夏樹は言葉を続けた。別名、全く反応できなかったともいう。
「戦わなければ生き残れませんよ」
ふらふらしながら立ち上がり、懐からA4サイズの紙を取り出して床に置く。縦横無尽に線が走っており、両端は七つに分かれていた。明らかにあみだ。その一方にお年玉袋を置いて皆を振り返る。
「さあ、一人ずつ選んでください。自らの運命を!」
「私は別にいらないんですが」
そういったのは黒島のみだった。二十代前半の祭樹も、年長に入る鏡も大人しく運命を選んでいく。自分以外の誰もが引き寄せられていく運命という名の竜巻に、黒島も大人しく身をゆだねようとした、その時。
「その運命、私が選び取る!」
窓ガラスをとんとんと叩き、がらりと開けて入ってきた人影は黒島よりも三歩はやく、残っていた選択肢へと手をついた。誰もがその姿を、意外でも何でもなく覗いている。
「ことちゃん、遅かったですね」
「早朝の年賀状配りを音速で終わらせました」
鏡に「こと」と呼ばれた男は親指をぐっと立てて美女に答える。背中にはマント。服装はこげ茶色メインで中央には笑顔のマーク。頭にはアンパンの仮面を被っている。闇に落ちたアンパンマンこと、夢幻言霊(むげんのことだま)だった。RINのOBにして作家を目指す男。生計はアルバイトで立てている戦うフリーターだ。
「ことさん! 私の場所をぉおお!」
「人生とは常に油断大敵なのですよ、宮城さん」
元気はつらつに親指を立てて爽やかブリザードを振り撒く言霊。夏樹は全員が揃ったと呟いて早速あみだを始めていた。黒島が血の涙を流して「あああああ」と壊れかけのラジオのようにリピートを繰り返しているのを尻目に。
「音桐さんはーっと。てってーててれてててー。てってーれてれてててー」
夏樹の指は縦、横、斜め、上、下、右、左、A、B、右、X、Y、Z、螺旋、ビールマンスピン、トリプルアクセル、ドーナツ、入道雲、鳥、桜舞い散る粉雪はアミーゴ、となぞられてゴールに到達する。
「ゴール、イン」
何故か泣きそうになっている夏樹に音桐が賛同しながら、選ばれし袋をあけた。
百円がちりんと落ちていった。
「というわけで音桐さんは百円です」
「切ない」
涙を拭きながら音桐は蟹を食べ始めた。
次には鏡が某女性歌手の歌を歌いながらあみだを行う。夏樹はBGMに心躍らせつつ、彼女へと百円を贈呈した。
「切ない……」
涙を拭きながら鏡は蟹を食べ始めた。
次は突っ込んでいた祭樹。スポーツ刈りの好青年はイノシシでも狩ろうかという肉体の持ち主だった。拳を握り、筋肉の筋を浮かび上がらせながらあみだの行方を追っている。
夏樹は、そんな熱い漢に百円を贈呈した。
「切ない……って連発!?」
釈然としない顔をしつつも騒ぐのは大人気ないと感じたのか、祭樹はしぶしぶ鍋を突付き始めた。蟹よりも野菜や豆腐を食べるところが祭樹の所以。美味しいところは他者に譲り、自分はより美味しいダシが染み込んだ野菜を食べるのだった。
「これってもしかして全部百円ですか?」
遊希が不安そうに夏樹を見るが、人差し指を上げてちちちと左右に振る。
「ちゃんと一万円はありますよ。ただ一万円から百円っていっただけでその間があるとは言ってませんが」
「言葉って不思議です」
遊希は納得し、自分の番にはしゃいでいた。お年玉の額が問題なのではなく、こうしてイベントに遊べることが楽しいのだ。それこそ名前に「遊」を関する遊希の性格であり、輝ける魂の色。
絶世の美麗さで人をひきつける鏡。内から発散される輝きで人をひきつける遊希。夏樹的には両方好きだった。
「ささ、次は遊希ちゃんの番です」
蟹の残骸を手に優しく話し掛ける鏡。遊希は眼前に近づいた顔に頬を染めて俯きながら「はい、お姉さま」と呟いた。
(乙女の恥じらい。美味だ)
夏樹は別の部分がおなか一杯になって満足し、遊希のあみだを開始する。するっと道の見えない森を抜けていき、辿り着いた答えは。
「一万円ー」
「わーい! カエルと猫がクロスカウンターしてる瞬間のぬいぐるみとか買える!」
先ほど見せていた乙女の恥じらいが一気に封印を施される。解除の呪文はおそらく鏡の囁きだが、すでに鍋へと視線を戻していた。
「じゃあ、もうめんどくさいので」
遊希の番が終わってやる気をなくした夏樹は菊梅と畔に袋を手渡した。中を開けると一万円が入っていた。
「なんじゃそりゃああ!」
黒島の口からほとばしる血潮ならぬ出し汁をかわしながら、夏樹はあっさりと答えていた。
「まあ、普通に学生さんにはお年玉あげるでしょう」
「ここにきて常識的発言!?」
祭樹は切られたネギを堪能しながら驚き突っ込みをするという三重動作を決行。見事成功させる。
音桐と鏡は鍋を突付きながら談笑し、祭樹は突っ込み、菊梅はユニセフに一万円を募金しようと笑い、畔はどのくらい小説買えるかと計算し、遊希は満面の笑顔で一万円を眺めて、黒島は泣きながら出し汁を吸い、そのあまりの美味しさに涙をおさめていた。
「で、私のお年玉は?」
(今年もいい一年になりそうだ)
夏樹は目に映る光景を見てとても幸せな気持ちになる。
地球環境の破壊や世界各地で起こる戦争、日本のあり方の行方など世の中はいろいろ問題もあるし、凶悪犯罪や親殺しなどの悲しい事件も起こる。だからこそ、こうして集まって騒げる仲間達がいることを、夏樹はとても尊く思うのだった。
「あけましておめでとうございます」
夏樹の言葉に、メンバーの視線が一斉に彼に向く。最初は怪訝そうな顔をしていた面々も、夏樹の言葉に込められた暖かな思いに気づいて、微笑み返す。
『今年もよろしくお願いします』
「私のお年玉は?」
和やかな雰囲気の中で袋を声の主――言霊に渡す夏樹。それを喜々として開け、中に入っている百五十円を見て「愛と勇気だけが友達さー」と歌い上げる言霊。
こんな日常が、いつまでも続きますように。
夏樹は、心からそう願った。
あとがき
お年玉RIN小説。今年一年がんばりましょう。