踊るスノウフレイクス
著者 音桐 奏
 
 はらはらと舞い散る粉雪が、鼻先に当たった。すぐに水に変わって落ちていく感触を感じながら、私は息を吐く。
 白く現れたそれは降ってくる雪を掻き分けるように空へと昇っていき、霧散する。無風の中をやってくる彼らの中に混ざっていったのだろうか。
 暗い空からやってくる雪を見るのは昔から好きだった。今のように建物の玄関から出た場所で冬の気配を肌で感じながら、舞い降りてくる粉雪を眺める。空を伝う音を吸い込んで降り積もる白の中には、きっといろいろと見えないものが含まれているんだろう。しばらく眺めてから足を踏み出して歩いていくと、ぎゅっぎゅっという音と一緒に包まれたものが解放されて、また空に消えていく。そんな光景を夢想して、ただ単に歩くことがとても楽しく思えた。
 でも今は、こうしてじっと眺めているほうが好きだったりする。
「祐君、遅い……かな」
 手袋をずらして時計を見ると、時刻は八時を過ぎていた。私も七時まで部活だったし、祐君は合唱部でクリスマス会をしているはずだった。少し玄関から顔を出して音楽室を見ると、明かりがついて誰かが窓際で話している。
 メールで待ってるとは送っておいたけれど……返信はない。
「帰っちゃうぞ」
 言うだけで、絶対にそうしないことは分かってる。胸の奥からこみ上げてくる思いが身体を音楽室へと運ばせようとするけれど、他の人がいるところに尋ねていくのは気が引けた。
 今、彼の姿を見たら思わず抱きついてしまうかもしれない。
「光!」
 勢いよく玄関のドアがスライドする。鉄製で私からすれば開くのも一苦労なんだけれど、あまりに勢いがついて凄い音を立てて跳ね返った。
「ゆ、祐君……どうしたの? 怖い顔して」
 息を切らせて、いつもどこかほんわかとした顔の祐君が立っていた。肩を大きく上下させながら私を睨むように見てる。そんな視線が向けられるのは、付き合って半年経つけど初めてのことだった。
 でも、そんな怖さに怯えるだけじゃなくて……私は恥ずかしさに身体が震えていた。
「あ、あの……」
「光! 中入らないと寒いだろ!」
 そう言って私の手を掴むと強引に玄関の中に引き寄せられた。寒さはあまり感じてなかったけれど、身体は硬直していたのか上手く動かせずに祐君にぶつかってしまう。
 ちょうど、抱きしめてもらっている体勢だった。
「ああ、あのあのあの」
「こんなに冷たくなって……風邪引いたらどうするんだよ!」
 胸に顔がうずまっているから、祐君の顔は見えなかった。でも聞こえてくる言葉は本気で怒っていて、抱きしめてくれる腕も力がこもってる。
「ごめんなさい……ごめん、ね?」
 胸元に縮めてあった両手をゆっくりと伸ばして、祐君の背中に回す。祐君の背中は大きくて、私の手じゃちゃんと彼を包めない。それでも、思い切り腕を伸ばして背中を覆う。
 背中を擦っていると、強く私を抱いていた腕の力が弱まっていった。
「ごめん、高橋。さっきメールに気づいてさ、急いでクリスマス会抜けてきたんだ……それで外にいるもんだから、寒いだろうって――」
「ううん。ごめんね、急がせちゃって」
 祐君の背中から手を離すと、身体も彼から離れた。祐君の腕にもっと抱かれていたかった気持ちもあるけれど、思い出すと顔が熱くなる。
「高橋、顔赤いけどやっぱり――」
「祐君……もしかして気づいてない?」
 私の言葉に祐君は首をかしげている。言い方もいつものように戻っているし、やっぱり無意識に出て来たんだ。咄嗟にでるってこと……本当はそう言いたかったって思っていいのかな?
「私のこと、初めて呼んでくれたね、名前」
「…………」
 祐君は私の言葉を聞いてしばらく考えていたようだった。そして小さく「ぁ……」と声に出してから口に手を当てて私から視線をそらす。口元から上が、真っ赤に染まっていた。
「うれし、かったよ?」
 私もきっと、祐君に負けないくらい真っ赤だったろう。心臓の音が身体から外に出て行くような気がするくらい跳ねていて、顔も風邪を引いたときみたいに熱いんだもの。
「たかは……光」
「……祐」
 互いに名前をちゃんと言い合う。それだけで、何か今までの私達と違った仲になった気がした。
 昨日までの私達と、今日の私達と、今の私達。
 一つ一つ、進んでいく。
「帰ろうか」
「うん」
 玄関のドアを開くと、まだ雪は降り続いている。無音の中に降りていく、二人の足音。自然と、祐君……祐の手を握って、隣を歩いた。
 空から舞う風花の中に、今この瞬間だけは溶け込まないでいたい。
 お互いの体温を感じあっていたいと、思った。


あとがき
砂を吐くために書きました

Rhapsody In Blue