ただのお茶会
著者 夏目 陽
 
 目次
 0 奇妙なお茶会。どこからか呼ばれた者たち。僕らがここにいる問題。
 1 記憶と思い出。地味と影。影が薄い問題。
 2 音桐奏の見解。惹きつける魅力の問題。他者への関与。
 3 鏡柘榴の意見。視覚的要素の問題。人の九割は見た目で決まる。
 4 薔薇百合菊梅の見方。コミュニケーションの問題。巧みな話術の覚え方。
 5 朝霧夏樹の回答。幼少時代の問題。地味である自分を演じること。
 6 祭樹神輿の金言。今までのまとめ。答えはすでに読者に与えられている。
 7 夏目陽の発言。地味の問題。年頃の女性の視点。
 8 作楽遊希の直感。地味の問題、その二。結論はあまりにも簡単。
 9 睡眠薬と自殺。レイプと本性。やる馬鹿とやられる馬鹿の問題。
 10 朝霧夏樹の反論。ペルソナと魔性の女。虚構のアリスと現実のアリス。
 11 鏡柘榴の言葉。フェミニズム闘争。男性にはわからない精神的辛さ。
 12 黒島宮城の意見。真と偽。どちらが嘘を吐こうと構うものか。
 13 薔薇百合菊梅の話。悪魔の問題。旧約聖書のサタンと新約聖書のサタン。
 14 音桐奏の弁論。構造上の問題。フェミニズム闘争への反論。
 15 夏目陽の補足。構造上の問題。フェミニズム闘争への反論その二。
 16 子孫の話。愛と妄想。愛あるセックスの問題。
 
 
 ――すべて、ネタです。
 
 
 0 奇妙なお茶会。どこからか呼ばれた者たち。僕らがここにいる問題。
 ――【お茶会】数人が集まってお茶を飲むこと。主に主婦の間で行われる。情報交換、近所付き合いの手段。「あら、今日は――の日だわ」
 
 皆、黙っていた。私は正直、参っている。今、何故ここにいるのかわからない。何故、私が椅子に坐っているのか。私のほかに七人の見知らぬ人がいるのか。皆の目の前に紅茶が置いてあるのか。私は何ひとつ明確な説明をすることが出来ない。
 そこにいる七人は思い思いのことをしていた。男性が五人、女性が二人。私を男性に入れるなら、六人。
「あの……」
 私の目の前に坐っている男性がいた。見たところ、影の薄そうな人である。よく言えば堅実、悪く言えば地味というところだろう。「私たちはどうしてここにいるんでしょうか?」
「それはこっちが訊きたいわ!」
 私の隣にいた女性が言った。すると今度は泣き出す始末。隣にいたもう一人の女性が慰めている。泣き出した女性のほうは私より一つ二つ、歳が上だろう。慰めているほうはその落ち突いた雰囲気から二十代前半ではないかと思われた。
「とりあえず、名前がわからないと話にならないんじゃないかな?」
 私から見て、二時の方向にいる男性がいった。彼は泣き出した女性と同じぐらいの歳で、肌が良く焼けていた。「俺は薔薇百合菊梅」
 彼の自己紹介に隣にいた、青年二人が続ける。まず、薔薇百合菊梅と言った隣の青年が、
「僕は祭樹神輿」
 その隣、つまり私の隣の青年は音桐奏と名乗った。私は夏目陽と名乗る。
「僕は黒島宮城」と私の目の前にいた男性が名乗る。
 次は大人びたほうの女性が「わたしは鏡柘榴よ。柘榴って読んで」と言い、泣いていた方の女性が「あたしは作楽遊希」としゃくりあげながら言った。
 最後に残った男性は眼鏡を掛けていた。眼鏡の先の細く鋭い目が私は好きになれなかった。
「ボクは朝霧夏樹」
 途端に、作楽遊希が声を荒げて泣き出す。私は正直、いらいらしていた。すぐ泣く女性は嫌いだったし、それで優しくされている姿を見るのも嫌だった。今の時代は男女平等参画社会というけれど、こういう女性がいる限り、女という性はいつまでたっても自立できないだろう。
 むしろ、男のほうが迷惑なのだ。いきなり女性たちが力をつけて、私たちは機嫌をとるため、ぺこぺこ頭をさげる。
「あの……」黒島宮城と名乗った男性は言った。「皆さんはいつからここにいるのですか?」
 私はぼうっと覚えているところまで言った。
「家でラジオを聴いていた。丁度、クラシックがやっていたんだ。私は安楽椅子に腰掛けてそれを聴いていた。そのまま、あまりにも春にしては温かいんで、眠くなって目を瞑ったら、ここにいた」
「私は……」音桐奏と名乗った男性が言い始める。「台所でスパゲティーを作ってた。彼女とふたりで食べようと思った。そういえばお皿を出していないと思って、取りに言ったら、地震が起きたんだ。私はその場にしゃがんで目を瞑ったらここにいた」
「僕は……」祭樹神輿が喋りだす。「剣道の練習に行っていた。丁度、面の練習で師範がお手本を見せるといって、僕に協力して欲しいと言った。僕は師範が面を打つとき、目を瞑ったんだ。そうしたら、ここにいた」
「俺はもっと簡単さ……」薔薇百合菊梅が切り出す。「学校で荷物を運んでいたんだ。そうしたら、階段で転んだ。目が覚めたらここさ」
「わたしはベッドで寝ていたらここにいたわ」鏡柘榴が言う。
 
 1 記憶と思い出。地味と影。影が薄い問題。
 ――【地味】人の興味、関心をひくような目立つ点が見られない様子。地味と形容された人には、堅実という言葉が褒め言葉として使われる。ほとんどの場合が嘘。「彼は――な人だ」
 
「そういえば」薔薇百合菊梅は言う。「祭樹神輿さんって私とどこかで会ったことがありますか?」
 祭樹神輿は首をかしげる。「どうだろう……何の時か教えてくれればわかるかもしれない」 薔薇百合菊梅は唸りながら、考える。それに触発されたのか、音桐奏は「私も、柘榴さんとはどこかで会ったような気がする」
「あら、わたし?」鏡柘榴は言った。「どこでかしらね? 私は全然、覚えてないんだけど」 私は全員の顔をしっかりと見てみた。だが、誰ひとりとしてみたことのある人はいない。
「そうだ!」薔薇百合菊梅は言う。「全日本ロボットトリビアクイズ選手権準決勝で敵のチームにいた!」
 祭樹神輿は思い出したような顔をしながら、「ああ、あのときのチームのひとりが君かね!」
「そうです。僕たちは《遠い海から来たオキナワンチーム》で出場しました。あなたは確か……《十三月は信念の島チーム》でしたね!」
「むむむ」祭樹神輿は険しい顔をする。「すると私たちは敵チーム同士だったわけか。ところで君はどこらへんにいたのかね」
「応援席です!」
 薔薇百合菊梅は即答した。
「そういえば!」音桐奏も何か思い出したように言った。「柘榴さんとは小学校の頃いっしょだった気がします、どうでしょうか?」
「小学校? もしかして、六年生の頃、隣のクラスにいた音桐くんなの?」
「そうです。みんなから洟垂れ音桐と言われていたのが僕です!」
 二人は即席の同窓会を始めた。間に挟まれた私は迷惑を被った。途中、音桐奏と席を替わってもらった。隣では熱いロボットの話が展開されていたが、私にはそれがさっぱりわからなかった。
 もう一度、皆の顔を見渡す。鏡柘榴は作楽遊希と席を替わっていた。作楽遊希はさきほどからずっと下を向いている。すると、黒島宮城と目が合った。
「夏目さんは私の頃を知っていますか?」
 黒島宮城は突然、尋ねた。私は少し考えて、知らないと答えた。黒島宮城は薄っすらと笑うと、
「やっぱり、知りませんか。いいんです。最初からわかっていました。でも、私は夏目さんのことを知っています。夏目さんと私は斜め向かいに住んでいるのです!」
 私はそれを言われて、斜め向かいの家を思い出そうとした。私たちと同じ形の家で、いかにも急に作ったニュータウンという気配があった。だが、斜め向かいの住民の顔はついに思い出すことが出来なかった。
「知らない」私はそう答える。
「そんな!」黒島宮城は叫んだ。「あなたは私に毎日、挨拶をしているじゃないですか! いつも八時から八時十分の間に! 私は家の庭で植物をいじっているんです! それに向かっていつも《おはようございます》って言っているじゃないか! それでも覚えていないんですか!」
 全然、覚えていなった。たぶん、無意識にやっていることなのだろう。覚えていない事を黒島宮城は悟ったの、。
「いいんです。私は影が薄いことなんて生まれたときから自覚しているんです! 初めは幼稚園の時でした。先生が端で遊んでいた私を忘れて、体育館の鍵をかけたんです。私はそのまま、夜まで放置され続けていました。私が家に帰ったのは夜中の二時でした。親も忘れていたんです。私のことを! 私には姉がひとりいますが、そちらのほうにかかりきりなんです。私は生まれないほうがよかったんです! 次は小学校の頃です。入学式の時に、先生は私の名前を飛ばしました! いつも、私の分のプリントがないんです!」
 皆は黙って、黒島宮城の話を聞き始めた。
「話し始めればきりがないです! 私はずっと影が薄い、学級でも名前と顔が一致しない、そういえばそんなやつがいたなあ、的なキャラだったんです! どうしてですか? 私はどうすればみんなに覚えられるようになるんですか!」
 
 2 音桐奏の見解。惹きつける魅力の問題。他者への関与。
 ――【魅力】人の心をひきつけて夢中にさせる力。女性の場合、ほとんどが欲しいと願うもの。特に盲目的な場合が多い。「彼女は自分が――的だと言うけれど、それは勘違いしている」
 
「多分、それは……」音桐奏は言った。「君に魅力がないからだと思うよ。人をひきつける魅力が足りないんだ。地味なんだ」
「ひきつける魅力ってなんなんですか?」
 黒島宮城は悲痛そうな声でいった。本当に切実なんだろ。
「僕が思うに、君にはインパクトが足りないんだよ。標準的な体型、照準的な顔つき、照準的な髪型、標準的な服装。つかみ所がないのを通り過ぎて、存在しないと思ってしまう。君はあれだよ。よく映画で後ろを歩いてたりする、映画本編にはまったく関係のない人なんだ。つまり、君は他人の人生にまったく関与していないんだね」
「そんな……」黒島宮城はうな垂れた。
「僕が思うに」音桐奏は言った。私は僕が思うには口癖なのだろうかと思っていた。「他者へ関与すればいい。なんでもいいんだ。好きなことをして、皆に賞賛を浴びるだけで君の影が濃くなる」
「そんなこと出来ないですよ……」
 
 3 鏡柘榴の意見。視覚的要素の問題。人の九割は見た目で決まる。
 ――【視覚】光の刺激を受けて生じる感覚。網膜に光が当たると視細胞に興奮が起こり、視神経を通して大脳の視覚野に伝えられ、明暗・光の方向や物の色・動き・距離などを認知する。五感の一。そこにあるものをそのまま映すとは限らない。「――に問題がありますね」
 
「わたしはあなたが地味な理由を資格的な要素だと思うわよ」
 鏡柘榴は言った。そう言われてみれば、この女性は中々服の着こなし方が上手だった。
「人の九割は見た目で決まるの。だから、あなたはもっと服装を派手にしてみなさい。きっとみんなはあなたの変化に驚くはずよ。驚いたのがあなたの影が濃くなった証拠なの。皆の記憶にはあなたが服装を変えたという事実が書き込まれるわ」
「でも……私には服を選ぶセンスもないですし……」
「うーん、今度、一緒に見てみましょうか。わたしも手伝いますよ」
「本当ですか!」
 黒島宮城は歓喜の言葉をあげた。
 
 4 薔薇百合菊梅の見方。コミュニケーションの問題。巧みな話術の覚え方。
 ――【話術】話をする技術。声が遅れて出てくる技。口を開かないのに声が聞える技術。「彼の巧みな――に騙された」
 
「でも、このあと、柘榴さんがあなたを覚えていなければどうするんですか?」
 薔薇百合菊梅はとてもよい意見を言った。黒島宮城は「それは……」と言葉に詰まる。
「先ほどから話を聞いていると、俺はあなたのどこが影を薄くしているかと言うと、会話だと思うんです」
「会話……ですか?」
 黒島宮城は思っても見ないことを言われたんだろう、薔薇百合菊梅の言葉を反芻した。
「そうです会話です。まさに他者とのコミュニケーションを図るにはとても大切なものではありませんか。会話一つで人の印象もがらりと変わるものです。外見も大事ですが、話し方も大事なのです。あなたの話し方は正直、地味で何も残りません。それで、俺が教えましょう。巧みな話術のこつを。大事なのは三つです。
 ひとつ、これは外見でも同じですが、挨拶の次の言葉はあなたの最初の印象を決めます。ここで心に残るような話題を提供できればベストです。ところで黒島さん、今、あなたにはそんな話題を提供できますか?」
 黒島宮城は首を横に振った。薔薇百合菊梅は「そうでしょう!」と叫んだ。
「次です。話題は豊富に持つことです。そのためには読書を欠かさない。テレビの世論を確認するのを欠かさない。常にどんな情報でも仕入れるようにするのです。もしも、相手が心理学の先生ならば、心理学の話題を。もしも、相手が経済学の教授なら、経済学の話題を。まさにそういうことです! ところであなたは自信を持ってこれなら話せるという話題はありますか?」
「どうしたら、葉っぱについたアブラムシを取るかという話題なら……」
 薔薇百合菊梅は叫ぶ。
「ナンセンス! そんな話題、誰もついてきませんよ!
 さて、最後ですが、それはよい聞き役になることです。ただこれは俺も経験でしかわからないもので、割合させていただきます」
 
 5 朝霧夏樹の回答。幼少時代の問題。地味である自分を演じること。
 ――【自我】1 自分。自己。2 哲学で、知覚・思考・意志・行為などの自己同一的な主体として、他者や外界から区別して意識される自分。⇔非我。「――の芽生え」
 
「ボクはこう思います」
 今まで発言していなかった朝霧夏樹が言い出した。
「皆さんは、社会的役割が自我を作るというのを考えたことがあるでしょうか? 実際これは実存主義のサルトルが提唱したものなのですが、《カフェのボーイである》というのは自分《カフェのボーイであることを演じる》ということであると言います。こう訊くとまるでボクたちは道化みたいですけれどね。
 話をきくところ、黒島さんは幼少の頃、体育館に取り残されたと言いましたね。まさにその経験が今の自分を作っているのです! つまり、そのとき感じた、自分は影が薄いんだという自覚が、地味である自分を作ったのです!
 これを克服するには地味でない自分を演じることです」
 朝霧夏樹は中々信憑性があった。
「でも……地味でない自分を演じるためにはどうすればいいんですか?」
 黒島宮城の問いに私はそろそろいらいらしてきた。
 
 6 祭樹神輿の金言。今までのまとめ。答えはすでに読者に与えられている。
 ――【金言】1 処世上の手本とすべき内容を持つすぐれた言葉。金句。2 仏の口から出た、不滅の真理を表す言葉。こんげん。ほとんどは後から創作される。「彼の――はあてにならない」
 
「つまり。音桐さんから薔薇百合さんまでの意見を実践すればいいんですよ」
 祭樹神輿は私の心の声を罵倒なしで代弁してくれた。
「それじゃあ、今の私は地味なのですか?」
 結局、話は振り出しに戻った。
 
 7 夏目陽の発言。地味の問題。年頃の女性の視点。
 ――【視点】1 視線の注がれるところ。2 物事を見たり考えたりする立場。観点。「――を変えて考える」
 
「そういうのは年頃の女性が一番、敏感なんだ」
 私が言うと、みなの視線が作楽遊希い向いた。この中で一番、年頃に見える女性は彼女だけだったからだ。
 
 8 作楽遊希の直感。地味の問題、その二。結論はあまりにも簡単。
 ――【直感】推理・考察などによるのでなく、感覚によって物事をとらえること。この世でもっとも信じられないものの一つ。「女は――が鋭いんだ」
 
「正直……地味」
 黒島宮城は泣き出した。
 議論はそれで終了する。
 
 9 睡眠薬と自殺。レイプと本性。やる馬鹿とやられる馬鹿の問題。
 ――【レイプ】強姦されること。主に男性に非があるとされる。女性が嫌な男性に犯されたときに使う方便。「私は彼に――されました」
 
 ややあって、悲鳴があたりを切り裂いた。私たち全員はそちらを見る。
 悲鳴を上げた人物は作楽遊希だった。ぱっと見ると朝霧夏樹が彼女に手を伸ばしたが、嫌がられたという感じだった。
「思い出したわ……あなたよ。あたしの人生を狂わせたのはあなたね!」
 私たちは何のことだかさっぱりわからなかった。私は結局、彼女と席が替わることになり、女性が隣にいたほうがよいということで、音桐奏と鏡柘榴が席を替わった。
「私たちには話がわからない。どういうことだか、説明して欲しい」
 私が言うと、作楽遊希は話し出した。
「私はここにいる前、自分の部屋の中にいたの。部屋の中で、ずっと前から貯めていた睡眠薬を全部飲んだのよ。そうよ、あたしは自殺しようと思ったの。
 あたしはもう一分一秒も生きることが出来なかったわ。あの人があたしの人生をめちゃめちゃにしたのよ」
「そんな遠回しな言い方はいいから本題に」
 私が言うと彼女は頷いた。
「あたし、あの人にレイプされたんです。あたしが駅前を歩いていたらあの人に声をかけられたんです。人のいない場所に連れて行かれたら、あたしは変な薬をかがされました。今思うとあれは眠れるために道具だったんですね。気づいたら、あたしは見知らぬホテルの一室にいました。でも、すぐにあの人があたしを襲ったんです。服を乱暴に脱がすと、あたしのファーストキスを奪いました。最悪です。あたしは親にだって、許したことがないんです。まだ見ぬ、運命の人に取っておいたんです。まあ、それぐらいならあたしの知らない間に親が奪っていたかもしれませんので、許しましょう。でも、あの人はあたしのプリーツスカートまで手を伸ばしたんです。最悪です。悪魔です。サタンです。結局、あたしは乱暴に服を剥ぎ取られ、裸になりました。それから前戯もなしに犯されました。ファーストキスまでは許しますが、あたしは処女までは許しません。それでも優しくしてくれるならまだ考えます。もしかするとこの人はあたしの運命の人かもしれない。そうじゃなくても妥協できるかもしれない。だけど、やり方は乱暴だし、あたしが痛い痛いって言っても何にも配慮してくれません。あたしはそれから解放されますけれど、今すぐ死んでしまいたいと思いました。だから、睡眠薬を大量に手似いれて自殺したんです」
 そう言い終わった後、作楽遊希は再び泣き出した。
 
 10 朝霧夏樹の反論。ペルソナと魔性の女。虚構のアリスと現実のアリス。
 ――【魔性】悪魔のような、人を惑わす性質。また、それをもっていること。ほとんどの場合、女性に形容される。「――の女に百万円、貢いでしまった」
 
「違う!」
 朝霧夏樹は言った。「彼女の言っていることは真っ赤な嘘だ!」
「どこが違うんですか?」
 鏡柘榴は言った。女性同士、どうやら彼女は作楽遊希に同情しているようだった。
「ボクは確かに彼女に駅前で声をかけました。でも、ボクはそのとき、道を尋ねたんです。そしたら、彼女が教えてあげるからついてきてと言ったんです。ボクは正直について行ったんです。でも彼女が言ったのは、ラヴホテルでした。彼女はボクの腕を引っ張って、中に入れたんです。彼女はボクが襲ってきたと言いましたが、それは違います。逆です。彼女はボクの服を脱がしたんです。彼女はボクを積極的に誘いました。ボクのズボンを脱がして、口にくわえたんです。それで彼女が言ったんです。《あたしをレイプするみたいに犯してみない?》って。だから、お互いにそのレイプが茶番だって知っていました。だから、ボクは決してそんなことをしていないんです。まず、彼女は処女じゃなかったし。
 皆さん知っていますか? 彼女の本性はもっと小悪魔的です。いいえ、小悪魔で終わりません。悪魔です。それこそサタンです。ルシファーです。不思議の国のアリスにでてくるアリスはとても聡明だけど、現実のアリスはわがままだって聞いたことがあります。つまり、彼女は魔性の女なんです。自分を被害者にして、みんなから同情を得ようとする魔性の女なんです」
 
 11 鏡柘榴の言葉。フェミニズム闘争。男性にはわからない精神的辛さ。
 ――【フェミニズム】1 女性の社会的、政治的、経済的権利を男性と同等にし、女性の能力や役割の発展を目ざす主張および運動。女権拡張論。女性解放論。2 女性尊重主義。3女性が男性に対して優位になりたい時に使う方便。「彼は――だ」
 
「わたしはあなたの言ったことを信じないわよ」
 鏡柘榴は作楽遊希を弁護するようだった。作楽遊希は彼女に抱かれ泣いていた。だが、一度だけ、彼女がにやりと笑うのを私は見逃さなかった。
「男性にわからないかもしれませんが、レイプは肉体的な意味よりも精神的な意味で女性を傷つけるんです。彼女は傷ついています。それこそ翼の折れたエンジェルです。そして悪魔はあなたです。大体、男性は地球上に生まれて以来、女性には厳しくしてきたんです。勘違いしないで下さい。わたしたちにだって人権はあるし、今の時代、男女平等参画社会です。男性が優遇される時代なんていうのは終わったんです! もっと女性を大切にしなさい!」
 
 12 黒島宮城の意見。真と偽。どちらが嘘を吐こうと構うものか。
 ――【命題】1 題号をつけること。また、その題。名題。2 論理学で、判断を言語で表したもので、真または偽という性質をもつもの。→判断3 数学で、真偽の判断の対象となる文章または式。定理または問題。4真か偽か、はっきりしないといらいらするもの。「君の――は偽だ」
 
「柘榴さんの言うことを信じるなら、どちらが本当でも作楽さんは傷ついたんじゃないですか?」
 黒島宮城が言った。珍しく影が濃い。「作楽さんが本当なら、傷ついただろうし。朝霧さんの話が本当でも、結局、茶番でもレイプしているんだし」
 まともな意見なので、私は感心した。「ところで、黒島さんはどちらの立場なんですか?」
「私は皆さんの意見を聞いて、多数のほうに回ります!」
 黒島宮城は高らかに言った。
「だから、あなたは影が薄いのよ!」
 作楽遊希は泣きながら怒鳴った。
 黒島宮城もまた、泣き出した。
 
 13 薔薇百合菊梅の話。悪魔の問題。旧約聖書のサタンと新約聖書のサタン。
 ――【悪魔】1 残虐非道で、人に災いをもたらし、悪に誘い込む悪霊。また、そのような人間。2 仏道修行を妨げる悪神の総称。魔。魔羅。3 キリスト教で、神の創造した世界に対する破壊的で攪乱(かくらん)的な要素。悪への誘惑者。地獄に落ちた天使という解釈もある。サタン。「彼女は――のような性格だ」
 
「いや、俺は話を聞いてて思ったのですがね」
 薔薇百合菊梅が話し出した。辺りには二人の泣き声が聞えたが、ほとんど無視していた。
「旧約聖書のサタンと新約聖書のサタンって扱いが違うんですよ。新約聖書はそれこそ皆が知っている極悪非道、冷酷無比、愛羅武勇なんですが、旧約聖書のサタンってそんなに悪いことをしていないんですね。
 これはキリスト教の時代に関係あるのですが、その頃はちょうど、どんどん領地を増やして時代なんですよ。そこで他国の宗教、確かゾロアスター教だとおもうんですが、そういうのを知っていくうちに、何か諸悪の根源が欲しくなったんです。旧約聖書では、悪いことは信仰の足りないゆえに起こるとされていたんですが、徐々にみんなそんなわけあるかって気づいたんですね。新約聖書ではめでたく諸悪の根源としてサタンが猛威を振るうんです!」
「それでどうしたんですか! 今はそんなこと知りたくもありません!」
 作楽遊希の怒鳴り声を私は飽きれて聞いていた。
 
 14 音桐奏の弁論。構造上の問題。フェミニズム闘争への反論。
 ――【凸凹】1道などが平坦でなく凹凸(おうとつ)のあること。でこぼこ。2男性と女性の性器のメタファー。「道が――している」
 
 音桐奏は手をあげた。
「僕が思うにですね、男性と女性の構造には最初からどうにもならない違いというものがありましてね。
 構造は結局、それの力関係を決めてしまうとどこかで聞いたことがあります。例えば、凸凹ですが、基本的に口の漢字を引っ込ませたのが凹だと思うんですね。逆に凸は出っ張らせたものですね。そう考えると、二つをあわせるときに、必然的に凸は攻めることになりますし、凹は受けることになります。これは何のメタファーだかわかりますが、自分の口からそんなことは言えないんであえて言いません。つまり、女性は構造上、受けることになるし、男性もまた、攻めるほうにまわざる得ないんです」
「女性のほうがいつも攻めてくるんですが」
 黒島宮城はぼつりと言った。あえなく、音桐奏の弁論は崩れ去る。
 
 15 夏目陽の補足。構造上の問題。フェミニズム闘争への反論その二。
 ――【構造】1 一つのものを作り上げている部分部分の材料の組み合わせ方。また、そのようにして組み合わせてできたもの。仕組み。2 物事を成り立たせている各要素の機能的な関連。また、そのようにして成り立っているものの全体。3 ある集合で、演算または二点の遠近関係の規定などの数学的性質が与えられるとき、この集合の要素間の関係。数学的構造。4それだけで強固だと安心してしまう言葉。「彼の――設計書は偽造されていた」
 
「いや、これは乱暴に犯す場合だと思う」
 私はそろそろ話を切り上げたくて、言った。
「だって、女性が男性をレイプできないだろう? まあ、別の方法はいろいろ思いつくんだけどそれは置いておく。だから、レイプという言葉だけでそれは男性に非があると言っているようなものなんだ。
 大体、レイプがあったと聞けば男性が悪いと私も思う。それはさっき音桐さんが話した構造上の問題だ。黒島さんが言ったことは本質的な意味での攻めではない。精神的な攻めだと思う。肉体的に考えれば、たぶんそうなるんだと思う。
 だからこそ、強姦って聞けば、無理やり犯せるのは男性のほうだーとなる。だけど、私は女性の方にも非があると思う。まず、やる馬鹿も馬鹿だけど、やられるほうも馬鹿だ。大体、そんなに大事だったら、全寮制の女子学校にでも行って、温室育ちでぬくぬく生きてろ! 有性生殖が出来てからこの方、やらなければ子孫は生まれないんだ!」
「じゃあ、ミトコンドリアに戻ればいいじゃないですか?」
 鏡柘榴の言葉に私はもうこれ以上、発言する気になれなくなった。
 
 16 子孫の話。愛と妄想。愛あるセックスの問題。
 ――【愛】個人の立場や利害に囚われず、広い身のまわりのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重して行きたいと願う、人間本来の暖かな心情。この世で一番、不確定なもの。それでありながら、すべての人間が求めているもの。「――することとは相手に――されたいと願うこと」
 
「いや、これを聞いていた僕は思ったんですけれどね。それじゃあ愛あるセックスってなんなんですか?」
 祭樹神輿はまた面倒な話を持ち出した。
 
 
    *
 
 
 そこまで書いたところで私は画面からいったん、目を離した。時刻はすでに丑三つ時を回っている。いくら、徹夜すると心がけたところでこの時間帯はとてもきつい。
 企画の原稿を書いていた。前に企画の原稿を書くという小説を書いたが、中々受けた。だが、今回はネタの使いまわしはよくないよなあ、と思い、それを自粛した。
 私はコーヒーを飲み干すと、もう一度画面に向かう。ただ、その先の言葉が出てこない。
 話のあらすじは決まっている。どこからか呼ばれた、八人がそれぞれの話を語っていくというものだ。今はまだ二人語り終えて、三人目だ。本当はこれから朝霧夏樹、積み本が増える問題。薔薇百合菊梅、沖縄は何故、内地よりもテレビ放送が遅いのか? 鏡柘榴、生理痛に関しての男の認識。音桐奏、サイダーを買わない理由を書くつもりだ。
 特にこの話のテーマはない。しいて言うと、女性人にはフェミニズム的な意見を言わせようと思っていた。だから、鏡柘榴の話題はそれに見合ったものになっている。
 私は一度、書いてみた原稿を読み直した。誤字脱字の修正をしようと思ったからだ。だが、どんどん読み進めていくうちにある一つの結論に辿り着いた。
 
 面白くないじゃん。
 
 さきほどまで徹夜するという意気込みの元、ハイテンションで書いていたからかもしれない。とんでもない駄文を書いていることに気づく。
 私はワードを閉じ、文章ファイルをゴミ箱に捨てた。コンピュータの中にあるのも嫌で、すぐに空にした。
 私はため息をつく。初めは中々面白そうなネタだと思っていたのだが。やっぱり、ハートボイルド探偵小説を書く私にはテンポのいい会話なんて無理なんだろうか。一層、朝霧が作楽をレイプしたのは本当で、それで自殺した作楽の原因を調査する私立探偵夏目陽でいいんじゃないか。どろどろとした家庭。昼メロでもやらないようなもの。それでもいいんじゃないか。
 締め切りはあと数日後だった。
 私はとりあえず書き出してみることにした。
 
 
     *
 
 
『私立探偵夏目陽の冒険』
 依頼人は祭樹神輿と名乗った……。


あとがき

Rhapsody In Blue